もしも透き通れば


 例えば。


 あの、行ってらっしゃい、気をつけてね、という言葉だって、結婚してから言われるようになったのだ。毎朝、同じトーンで。喧嘩中でその言葉がなかった朝は、電車の中でも気持ち悪い。


 例えば。


 確かに触れ合いは減ったけど、押し倒さなくても彼女がこの手の中にいると思えるから、ガツガツした本能が湧いてこないのだ、と思う。


 例えば。


 どこかに手を繋いで出かけるのも楽しかったけど、化粧をしていないラフな格好の妻と居間で思い思いに過ごしては、お茶飲む?とかあれ取って、とかの声がかかる、そういう柔らかい時間だって贅沢だと思うのだ。

 洗濯物の干し方だけは譲れないと腰に手をあてて威嚇する妻が。

 晩ご飯は何でもいいと答えると、じゃあ白いご飯だけでも?とじろりと睨む妻が。

 仕事がハードだった日に、ちょっと休憩させてとソファーに転がる妻が。

 大事だと思える。それが結婚じゃないんだろうか。それをいちいち言葉にしないだけなのに。

 心が見えるようだったのは、付き合っている頃だろう。

 口に出して伝える努力が必要だから。

 だけど夫婦になってからは、確かに言葉も減ったかもしれない。

 電車の中は蒸し暑い。窓際でぼんやりと考えてるうちに会社の最寄駅に入って行った。

 あの日もそうだったんだ。こんな電車の中で色々考えてた。

 だけど、そのまま俺は日常に入り、妻は二度とその話をしなかった。


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