波の音だけ聞こえない
 六時のオープンから十時のラストオーダーまでノンストップの忙しさだろうというみんなの予測と覚悟を裏切って九時を過ぎると途端に客足が途絶えた。
 お客様の話し声、笑い声、食器の音、料理人さん同士のやり取り。
それらにかき消されていたBGMがすとんと耳に戻ってくる瞬間がある。
その瞬間が忙しさの折り返し地点だ。
 誰も決して仕事をサボっているわけではない。
なのに、みんなの動作もゆったりとしてみえる。

「佐和ちゃん、手、空いてる?」
 気を抜いた途端、真緒ちゃんに声をかけられた。
 「ビール、手伝ってくれる?」
 空いたビール瓶ばかりが詰まったケースを開栓前のケースと交換しにお店の裏まで行く。
そう大した距離ではないのだけれど、中身が空とはいえとにかく女子には重いんだ、これが。
だからいつも二人組で行くことになる。
それでも重いし、面倒くさい。
この不人気な仕事を真緒ちゃんはいつも率先して引き受けている。
ビールケースのことだけじゃなくて、トイレ掃除だってそうだ。
それも店長さんとかに言われる前に、いつの間にか、率先してやっている。
たまにトイレ掃除だれでをしようとすると、真緒ちゃんに「終わってるよ」って言われちゃう。
偉ぶるでも、恩着せがましくでもない。ごく自然な言い方で。
お店で一番の古株だからとか、年齢的に一番上だからとかじゃなくて、きっと根っからいい人なんだって、根拠はないけどそう思う。
数年後には私も真緒ちゃんみたいになれるかな。

 お店の裏には新しいビールケースはなくて、私たちは手ぶらで戻ることになった。
「ラッキーだったね」
「えっ、真緒ちゃんでもそんなこと思うの?!」
真緒ちゃんは目を丸くした。
「そりゃぁ、思うよ。誰でも思うでしょ。」
「うーん・・・。真緒ちゃんは思わないと思ってた。」
真緒ちゃんはけらけら笑った。
「新しいのが持っていけなくって悔しがるとか?!」
ないよ、ないよ、と真緒ちゃんは顔の前で手を振って見せた。

店内に戻ると美奈ちゃんが伝票を計算し、現時点での売り上げとレジの金額を確かめていた。
パーマのかかった栗色の髪はポニーテールにしても毛先がくるんと丸まって、とても可愛らしい。
同じポニーテールでも真っ黒で、パーマっ気のない私の髪は毛先があっちを向いたり、こっちを向いたり、まとまりがないにもほどがあるだろうって感じだ。
きれいにカールされた長い睫、サクランボ色のぷっくりとした唇、深い湖を思わせる透明感のある肌。

 ボーイッシュなベリーショートとナチュラルメイクも、真緒ちゃんには似合っているから素敵だけれど、私には似合わないし、する勇気もない。
だから余計に、美奈ちゃんのわかりやすい綺麗さに、同性ながら思わず見とれてしまう。
 私も美奈ちゃんみたいな女子大生になりたいな。

 閉店まであと15分というところで、ドアが開いた。
「いらっしゃいませ」
入ってきたのは、Tシャツに短パンといういたってラフな格好の男性二人組だった。
二人して首にタオルを巻きつけている。

二名様ですか。
人数によって案内する席が決まってくるから、どのお客様にも必ずこの質問はする。
車を止めに行っていたドライバーさんが後から合流することもよくあるからね。
私に質問する隙を与えず、二人連れは当然のように入口に近いカウンター席についた。
腑に落ちない。
とりあえず、お冷を出しながら、思わず小首を傾げてしまう。
続けてメニューを出そうとしたら、厨房から店長の石部さんがカウンター越しに顔を出した。
「おぅ。どうだった」
「だいぶいいんじゃないすか」
「本当か?昨日もそう言ってたよな。」
石部さんは苦笑しながら、メニューを出すタイミングをつかめず、突っ立ったままでいる私を「メニューはいいから」と手で制した。
へっ、どういうこと?
「俺らメニューから選ばせてもらってもいいっすよ」
四角い顔の、やや太めの方の言葉を石部さんは速攻却下した。
「もう出来上がってるもんね」
えーーーっと、石部さんのお知り合い?
数分後には二人分の料理ができあがったんだけど、盛りに盛られたサニーレタス、普段はハンバーグの皿に添えられているベシャメルソースのポテトに二番人気のチキンカツとカニクリームコロッケが通常の半量ずつ盛り付けられている。
しかも、ご飯の量がハンパなく多い。こんな大盛り、見たことないよ。
これって・・・まかない?!

頭の中が?でいっぱいになった私は、隣に立っていた香織さんに声をかけた。
「ねぇ、香織さん」
「ん。あぁ、あがっていいよ。お疲れ」
この人たち何者?って聞きたかったんだけどな。
「おぅ、浜ちゃん、お疲れ様。まかないどうする?」
浜田佐和。私の名前。
みんなは佐和とか佐和ちゃんって呼ぶけど、石部さんたち、厨房の中の人たち、つまり料理人さんたちは浜ちゃんって呼んでくる。
真緒ちゃんや美奈ちゃんのことは真緒ちゃん、美奈ちゃんって呼ぶし、香織や久美子にいたっては香織、久美子って呼び捨てだ。
私のことも呼び捨てでいいんだけどな。

それに他のみんなはお客様がいる間は賄いを食べない。
高校生の私だけ、少しでも早く帰してくれようとしてくれる石部さんはじめ皆さんの気遣いはありがたいけど、一人だけ先に食べるってすごく落ち着かない。
特別扱いって特別な分だけ実は仲間はずれなんだ。

お店の習慣で賄いはいつもカウンター席でとることになっている。
ってことは、今日はこの正体不明の二人組の隣で食べることになる!?
私は少し考えてから答えた。
「今日は・・・いいです。明日、塾のテストがあるんで、ちょっとでも早く帰ります。」
「前日にバイトしてていいのか」
「頑張れよ」
突っ込みと声援に背中を押されて、店を出たんだけど、ホントあの二人組はなんなんだろう。
実を言うとテストよりそちらが気になって仕方がなかったんだ。



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