理想の彼氏作成キット
第20話

 翌日、いつもより明るく元気な咲を見て、お局軍団は彼氏との結婚が近いのではと噂を立てる。しかし、その表情が無理して作れらていることを大輔だけは見抜いている。話が話だけに終業時間まで待ち、店を出たところの駐車場で大輔は声をかけた。
「早川さん、ちょっと話いい?」
「ええ、もちろん。どこで話す?」
「ここで大丈夫。人目にもつかないし」
「うん、で、何?」
「彼氏と別れたでしょ?」
「鋭いな~、なんで分かるかな~」
「そりゃ分かるよ。人前では普段以上に明るくしてたけど、一人で作業してるときは今にも泣きそうな顔してたからね」
「そう、私、そんなヒドイ顔してたんだ。明日からもっと気をつけないとね。お局軍団に何言われるか分らないし」
 努めて笑顔を作る咲を見て我慢できず大輔は正面からすぐさま抱きしめる。咲はさして驚きもせず黙って抱きしめられている。
「見てて辛い。泣きたいのに泣けないって辛いよね。辛いって言える相手がいないのも同じくらい。泣いていいんだよ。僕が咲さんの弱くなれる場所になってあげるから。ずっと側にいるから」
「小林君……」
「いいから、泣きなよ」
 抱きしめたまま肩越しに掛けられる優しい言葉で咲の頬には涙が伝う。昨夜帰宅してからも散々泣いて泣き尽くしたと思っていたが、大輔の優しさに触れ我慢していた感情が再び溢れ出す。
「辛い、辛いよ……、大好きな人を失うことがこんなに辛いなんて想像もしてなかった。こんな辛い気持ちになるなら、最初から出会わなければ良かった。恋なんてするんじゃなかった……」
 大輔のシャツを両手で強く掴みながら咲は涙を流す。大輔は左腕で身体を抱き右手で咲の頭を優しく包む。
「咲さん、それは違うよ。今は辛いかもしれないけど、出会ってから得たものだってたくさんあったはずだよ。お互いが幸せと思えた掛け替えのない時間や思い出も。出会えて良かったと言ってあげないと、相手にも咲さん自身の心にも失礼だ」
「小林君……」
「忘れないであげて。大切な人だったのなら尚更」
 包まれるような優しい言葉に、咲は甘えるように泣き続ける。大輔も黙ったまま涙を流し、ずっと咲の頭を撫で続けていた――――


――土曜日、尚斗の居ない初めての休日、事情を知った茜が酒とつまみ持参で顔を見せる。その量からして、今日は帰る気がないことを咲は悟る。別れるまでの過程を話し、付き合ってはいないものの現在は大輔に支えて貰っていると告げる。神妙な顔つきで聞いていた茜も、大輔という弱くなれる存在があることにホッとしているようだ。
「波乱万丈な二カ月間だったんだね。作成キットを使ったこと、後悔してる?」
「別れてすぐはね。でも、大輔君の言う通り、出会ってから得たものの方が大きかった。世間の皆はこうやって恋愛経験積んで大人の女性になっていくんだなって思ったし」
「そうね。恋愛ってそういうもんだと思う。泣いて笑って、また泣いて。そうやって距離感とか想い、愛し方を覚えて、いつか本当の理想の彼氏に巡り合える。経験がないと理想の彼氏が近くにいても見過ごしちゃうからね」
「ああ、それ凄い分かる。最初オタクと思って避けてた大輔君だけど、たくさん話して人となりを知ったら凄い大人だったもの。ここだけの話、失恋の痛みが無くなる頃にはきっと大輔君と付き合ってると思う」
「そう思えるようになったってだけでも、伊勢谷君との恋愛は実りあるものだったと言えるのかもしれないわね。今日は咲の記念すべき初失恋を祝して飲み明かそう!」
「持ってきたその酒の量でそう言うと思ってたわ。よし! 今日はトコトン飲もう!」
 明日の仕事を二日酔いで過ごすこともいとわず、咲は日本酒をどんどん傾ける。茜もそれに倣うようにビールを開けて行く。

 数時間後、酔いつぶれた茜にタオルケットをかけ、PCの電源を入れる。理想の彼氏作成キットを起動させると、設定から尚斗のステータス画面を出す。画面の尚斗はまだ存在しており、今からでも会おうと思えば会うことは可能だ。ただ、使用料を払わない限り会えるのは今月いっぱいとなり、それ以降は自動的にデータが消える。
 別れた日以降、自分の手でデータ削除を試みようとしたが、どうしても踏ん切りがつかず今のままの状態が続いている。心の中にある思い出までもが消える訳ではないと分かりつつも、自分の手で消すという行為だけはどうしてもできない。
(このアバターを見れるのも今月いっぱい。会えるものなら会いたい。でも、それでは尚斗さんの気持ちを踏みにじることに。やっぱり会えない……)
 マウスを握ったまま固まっていると茜が隣に座ってくる。
「伊勢谷君か。まだデータとってたんだね」
「自分では消せないよ。流石にね」
「私がやろうか?」
「うん……」
 咲からマウスを渡されると茜は設定画面からデータの削除を選択しクリックする。画面には本当に削除しますか、という文字が出ている。淀みなくYESの部分にカーソルを持っていった瞬間、咲はマウスを取り上げ苦しそうに目を閉じる。
「咲、アンタまだ伊勢谷君のこと……」
「吹っ切れるわけない。初めての恋人なの! 初めて大好きって思えた人なの! 忘れるなんて無理だよ!」
「気持ちはわかるけど、伊勢谷君の言う通り先のない恋愛だよ。割り切らないと」
「そんな事は分かってるよ! 分かってるけど……、分かってるけど…………」
 マウスを持ったまま涙を流す咲を見て茜はため息交じりに自分の考えを切り出した。

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