恋架け橋で約束を

帰宅後

 夜道なので帰るのに時間がかかったことと、秘密の場所に長くいすぎたことで、家に帰ったときにはもう午後八時半を回っていた。

「ばあちゃん、心配してるだろうな」
 そう言って孝宏君はドアを開け、「ただいま~!」と声をかけた。
 私も後に続く。

「遅いから心配したよ」
 おばあさんが安堵の表情を浮かべて言った。
「ごめん。今度から気をつけるよ」
「佐那ちゃんを連れて出るときは、特に気をつけなくちゃ。分かったね」
「うん。ほんとごめん」
 素直に謝る孝宏君。
「すみませんでした」
 私も謝った。
「さぁさ、もう気にしないでいいから。ご飯にしましょ。準備できてるからね」
 おばあさんは、明るい表情に戻って、言ってくれた。



 ご飯を食べ終わり、お皿洗いなど後片付けが済んでから、孝宏君と私は今日のことをおばあさんに報告することにした。
「ええーっと、単刀直入に言うと、僕たち付き合うことになったよ」
「ほんとかい!」
 嬉しそうに声を張り上げるおばあさん。
 私は、何だかまた恥ずかしくなってきた……。
「そうかい、めでたいねぇ。もっと早く聞いていれば、赤飯でも炊いたものを……」
「そこまでしなくていいって」
 孝宏君は笑顔でおばあさんに言った。
「孝宏、佐那ちゃんを大事にしなくちゃダメだよ。泣かしたりしたら承知しないからねぇ」
「もちろん! 佐那ちゃんを泣かすような人は、僕が許さないよ。……それじゃ、佐那ちゃん、あとでまた僕の部屋に来てくれるかな」
「うん! もちろん!」
 元気良く私は答えた。



 お風呂と歯磨きを済ませると、私は自分の部屋で、孝宏君がお風呂から上がるのを待った。
 お風呂に入ったのに、右手にはまだ、孝宏君の手の感触が残っているような気がする。
 でも、物足りない気持ちもあって、また孝宏君と手をつなぎたいと思った。



 しばらくして、孝宏君が呼びに来てくれたので、私は孝宏君の部屋に移動する。
「今日はほんとにありがとうね」
「ううん、お礼を言うのは私のほうだよ。こんな幸せな気持ちにしてもらえるなんて、思ってなかったから……。何だか夢みたい」
「夢じゃないよ」
 孝宏君はそう言って、また私を強く抱きしめてくれた。



 しばらく抱き合った後、私たちは並んで腰を下ろす。

「明日、またあの秘密の場所へ行かない? 僕たちが付き合った記念の紙を、あのタイムカプセルに追加したいんだ」
「もちろん! 素敵……」
 すごく楽しみ!
「ちょっと待ってね」
 そう言って、孝宏君は机に座り、紙に何か書き始めた。
 その後、その紙とペンを私に渡してくれた。
 見ると、今日の日付と孝宏君の名前が書かれている。
 私も続けて自分の名前を書いた。
「明日、これをあの缶に入れにいこうね。そして、このことも、僕たちだけの秘密だよ」
「うん、二人だけの秘密ね。私たちだけの秘密」
 その「二人だけの秘密」という言葉が嬉しくて嬉しくて、私は何度も繰り返した。
 私たちだけの秘密……孝宏君と私だけの秘密……。

「あ、そうだ! 秘密といえば……」
 ふと、とあることを思い出して、私は言った。
「孝宏君は私に、あの秘密の場所を教えてくれたから、私からも秘密を教えたいな。孝宏君だけにね」
「おお、楽しみ! 教えて、教えて」
 目をキラキラさせて孝宏君が言う。
「ごめん、そんなにロマンチックなものでも、興味深いものでもなくて……」
「いいから、焦(じ)らさないで教えて」
 孝宏君は早く知りたそうな様子だ。
 私は言葉で伝えるよりも、実際に見せたほうが早いと思って―――。

 右手で握り拳(こぶし)を作ると、それを口の中に入れた。
 すっぽりと口の中におさまる握り拳。
「おおっ!」
 孝宏君は驚いた声をあげた。
 そのあと、「ははは」と笑い出す。
「ちょっと~、笑わないでよ~」
「ははは、ごめんごめん。でも、すごいね。たしか、そんな話を、智がしてたっけ」
「うん、夏祭りの帰り道でね。あのとき、こっそりやってみたら出来たんだけど、美麗さんは挑戦すらしなかったから、『きっとあまり人前で安易にすべきことじゃないんだ』って思って、出来ることを隠して、『できないと思います』って答えておいたんだよ」
「そうだったんだ」
 孝宏君は納得したように、うなずいた。
「でも、その秘密を、こうして僕だけに教えてくれたんだね」
「こんな秘密でごめんなさい」
 苦笑しながら私は言った。
「いえいえ、とっても嬉しいよ。秘密を共有するって、何だか……いいね」
「うん……」
 私も同じ思いだった。



 それからあとはおしゃべりをして過ごしたけど、二人の関係が変化したことによって、今までとは違った新鮮さでいっぱいだった。
 今までだって楽しかったんだけど、それが数百倍になったぐらいの楽しさで。
 なので、時間が経つのも、いつもよりもずっと早く感じた。



 気がつくと、いつも寝るくらいの時刻になっていたけど、ずっとおしゃべりしていたくてなかなか言い出せない。
 孝宏君も同じ気持ちでいてくれたのか、「そろそろ寝る時間だね」と言ってくれたときには、すでに時計の針は深夜零時を回っていた。

「楽しくてつい……。こんな時間になっちゃってごめんね」
 申し訳なさそうに孝宏君が言う。
「そんな、私のほうこそ、ごめんなさい。すごく楽しくて……ずっと話していたくて……」
「また明日、いっぱいお話しようね。それじゃ、今日はこのへんで。おやすみ」
「おやすみ」
 私たちは立ち上がると、どちらからともなく抱き合った。
 孝宏君のことが愛しくて愛しくて、ずっとそのままいたいような気持ちだったけど、そういうわけにもいかず、そっと離れる。

「あの……また、キス……して」
 恥ずかしいけど、思い切って言う。
 気持ちが全く止まらなくて、静まらなくて。
「おやすみ、また明日」
 孝宏君はそう言って、またキスしてくれた。
 触れ合った唇がすごく熱い。
 私も「おやすみ」と言うと、寂しい気持ちをこらえながら、自分の部屋へと戻った。



 電気を消して、布団に入っても、孝宏君のことを考えてなかなか寝付けない。
 あまりに幸せで、今日一日が全て夢だったんじゃないかとさえ思った。
 でも、そんな幸せな気持ちに包まれているとき、ふと頭にあの絵馬に書かれた日付「七月七日」が蘇ってきて、不安が幸福感を追い払いはじめる。
 そういえば初日の夢も、そんな感じで怖い夢だった。
 七月七日……どんどん近づいてきてる……。
 日付が変わって、もう今日は五日だから、あさってだ……。

 だけど、どうして恐れているのか、その理由すら分かっていなかった。
 だから……もしかしたら、何事も起こらずに済むかもしれないという思いもある。
 うん、きっと大丈夫。
 私はそう思い込むことにした。

 そして、また孝宏君のことを思い浮かべる。
 七夕の夜、恋架け橋で誓い合う約束をしたんだ。
 きっと、伝説は本物だし……もし、本物でないというなら、私たちがこれから本物にしてみせる!

 孝宏君……大好き。
 明日もいっぱい、ギュッてしてくれるかな……。
 そんなことを考えているうちに、私は眠りに落ちていった。



 その夜、また駅の夢を見た。
 これまでの夢と同じく、駅のホームに立つ私の前に、電車が到着する。
 停車する電車。
 安全を確認するために降りてくる車掌さん。
 その車掌さん……最近、どこかで見た気が……。
 そして……そして……。
 …………!
 そうだ………。
 私、その車掌さんに恋してたんだ。
 
 車掌さんに話しかけるために近づこうとする私だったけど、なぜか前に進めない。
 見えない力が、私の身体を押さえつけているようで……。
 そして、私はハッとする。
 孝宏君のことを思い浮かべた。
 そう……今、私が好きなのは孝宏君。
 その車掌さんがどれだけかっこよくても、どれだけ優しくても……もう、後戻りなんかできないし、したくもない。
 私には孝宏君だけ。
 ごめんね、車掌さん。
 車掌さんが私のこと、どう思ってくれているのかは知らないけど……私は申し訳ない気持ちになった。
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