Task Force-特別任務部隊-
走馬燈
時として『ベルリンは東西ドイツの境界線上に位置し、ベルリンの壁はその境界線の一部』と思われがちだが、これは誤解である。

そもそもベルリンは全域が東ドイツの中に含まれており、西ドイツとは完全に離れていた。

そしてベルリン東側は、ドイツ帝国当時からヴァイマル共和国・ナチスドイツ時代を経て、冷戦中、即ち45年5月8日に分割占領されてから90年10月3日のドイツ再統一まで、引き続き東ドイツの首都となった。

つまり、東ドイツに囲まれていたベルリンが、国としてのドイツの東西分断とは別に、更にベルリンとしても東西に分断されたのである。

この時、分断されたベルリンの東側部分(東ベルリン)はそのまま『東ドイツ領』となり、一方西側部分(西ベルリン)は『連合軍管理区域』(西ドイツ)として孤立した。

これにより西ベルリンは(あたかも西ドイツの飛地であるがごとく)地形的に周りを東ドイツに囲まれる形となってしまった。

これは第二次世界大戦後のドイツが連合国(米・英・仏・ソ連)に分割統治される事になった際、連合国はドイツの分割統治とは別にベルリンを分割統治した事に由来する。

つまり、ドイツだけでなくベルリンも東(ソ連統治領域)と西(米・英・仏統治領域)に分断した。

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