涼子さんの恋事情
第15話

 駅からマンションへと帰り着くと、自宅の扉を開ける前に深呼吸する。達也への回答は麻衣も関わることなので、事の全てを話し意見を貰うことに決める。
「よし! いつも通りちゃんと向かい合って話そう」
 自らを鼓舞し玄関のドアを開ける。ふと足元を見ると見慣れない黒い革靴が並んでいる。訝しながら足早にリビングに入ると、良樹と麻衣が話している。その光景を見た瞬間、攻撃的なスイッチがオンになる。
「不法侵入で警察呼ぶわよ!」
 開口一番、敵意剥き出しで対峙する涼子に良樹は苦笑いする。
「父親が娘に会いに来ただけだろ? そんなに目くじら立てるなよ」
「親権を放棄したような人間が親を語らないで。出ていかないなら本気で警察呼ぶわ」
「へいへい」
 良樹はのそのそと立ち上がるとリビングを後にする。玄関から出ていくのを確認すると、すくざま鍵をかけ麻衣の元に戻る。
「大丈夫、麻衣?」
 心配し顔を覗き込むが、ソファに座る麻衣の横顔は暗い。
(まさか……)
 嫌な予感がしつつ涼子は尋ねる。
「何か言われたのね? 話して」
 ショックを受けているのか、問いかけに反応せず黙ったまま動かない。
「麻衣、お願い。何とか言って……」
 涼子の泣きそうな声を聞くと、俯いたまま麻衣は口を開く。
「私が、ママの本当の子供じゃないってホント?」
(やっぱり、そのことだったか……)
 良樹に怒りが沸くも今はそれどころではない。
「本当よ」
 その言葉に麻衣はショックを受けた顔をする。
「でもね、麻衣。それは生みの親でないってだけ。麻衣は今も昔も私の大切な娘よ」
 諭してみるも麻衣の顔は変わらない。
「少し寝てくる……」
 ソファから立ち上がると麻衣は自室に入って行く。何も言えずにその後ろ姿を見ていると携帯電話がメール着信を知らせる。
『今、名古屋駅に到着しました。カッコイイ映画のシーンだと、あのまま涼子さんを連れてここに居たんだろうけど残念。さっき東京には戻らないって言ったけど、恋人が東京にいるんだから行かないなんてことはないよ。何かあったらすぐに駆け付けるから僕を頼って下さいね』
(このタイミングでこんなメールが来るなんて。でも、帰ったばかりの達也君に心配をかけさすようなことはできない。麻衣のことは私がちゃんと守らなきゃ)
 適当な定型文で返信を済ますと、気掛かりな麻衣の部屋をそっと覗く。暗がりの部屋に入り電灯を点けるとベッドに視線を向ける。
「麻衣?」
 ベッドに近付いて初めて麻衣がいないことに気がつき、室内を見渡すもどこにも姿はない。視線を机に移すが、いつも置いてあるはずの財布と家の鍵も見られずハッとする。
(しまった! 部屋で寝るっていうのは嘘だ!)
 玄関に走るも案の定、麻衣の靴がない。急いでリビングに戻り、携帯電話のGPSアプリを起動させる。しかし、示されたポイントは自宅を指しており、携帯電話を持たずに外出したことが理解できる。
(どうしよう。今のおぼつかない精神状態の麻衣では、外出中に何かあっても冷静な対応も適切な対処もできない。早く捜さなければ……)
 財布や携帯電話を持つと涼子は足早に自宅を後にした――――


――三時間後、よく遊んでいる公園や最寄りの図書館を捜すも麻衣の姿は見られない。親友の早紀や美穂に連絡を取るも分からないと返される。日の入りまではまだニ時間程あるものの、暗くなればなるほど麻衣への危険度は増す。内心焦りながらも涼子は街中を走る。疲れ果て駅前のコンビニで一休みしていると、店の中から現れた良樹と目線が合う。
「よう、今日はよく会うな」
 視線を外し無視していると近付き話し掛けてくる。
「相変わらず鉄仮面のような女だな。しかし、珍しく汗かいてるじゃないか。どうしたよ?」
「よくも約束を破ってくれたわね」
 睨みつけてくる視線を見て良樹は事態を理解する。
「麻衣のことでキレてんのか? あいつ家出でもしたか?」
 一瞬で血が昇り、良樹を張り倒そうとするがなんとか踏み止まる。黙っていると更に心騒がせる言葉を浴びせ掛けてくる。
「麻衣に話したのはおまえのためでもあるんだぜ? 麻衣が居なけりゃ、例の部下と心置きなく付き合えるだろ?」
「余計なお世話も甚だしいわ。麻衣に何かあったら、私は貴方を絶対に許さない。覚悟しとくのね」
 殺意にも似た言葉に良樹も少し困惑している。しかし次の瞬間、その背後から爽やかな笑顔で歩いてくる男性を見て涼子は心底驚く。
(えっ! 達也君!? なんでここに?)
 涼子の表情から推察し良樹も後ろを振り向く。そこには、ニコニコ顔の達也と気まずそうな顔をする麻衣が手を繋いで並んでいる。
「麻衣!」
 目の前の良樹をどかし涼子は麻衣の元に駆け寄る。
「麻衣! 大丈夫? 怪我はない?」
 麻衣は視線を合わさず頷く。無事を確認すると涼子はすかさず麻衣の頬をビンタし強く抱きしめる。
「バカ! なんで黙って出ていったの! 麻衣に何かあったら、ママ、生きて行けない……」
「ママ……、ごめんなさい、ごめんなさい……」
 涼子の想いに触れて麻衣は泣きながら何度も謝る。親子の絆を確かめ合う光景に達也は笑顔を見せるも、一転良樹に向き合い厳しい表情を見せる。
「お久しぶりです。涼子さんの元旦那さん」
「よう、涼子を名前で呼んでるところを見ると、もうそういう仲ってことか。よかったじゃねぇか」
「お陰様で。そんなことより、麻衣ちゃんから聞きましたよ。涼子さんや貴方のこと。大人の事情に子供を巻き込むのはどうかと思いますけど?」
 達也は穏やかながらも、敵意を隠さない態度で良樹に詰め寄る。良樹の方は困惑しているのか微妙な表情をしている。
「麻衣から俺のことも聞いたと言ったが、それは『全て』と捉えていいのか?」
「全て聞いてなかったらとっくに殴ってますって。僕の大事な涼子さんと麻衣ちゃんを泣かしたヤツなんですから」
「そうか。そうだな……」
 二人にしか分からないような会話を横目に聞き、涼子の心には不信感が募る。
「僕も不器用な方ですけど、貴方も相当不器用だ。なんでちゃんと涼子さんに言わなかったんですか?」
 自分だけのけ者にされた知らない話を聞き、涼子は堪らず割り込んでくる。
「達也君、私にも分かるように説明して欲しい」
「うん、説明したいのはやまやまだけど……、麻衣ちゃん? 麻衣ちゃんから話してくれるかな? さっき自宅で僕に話してくれたように」
 涼子は直ぐさま隣で涙を拭く麻衣を見る。
「麻衣?」
「分かった、私が話すよ。いいよね? お父さん」
 良樹はバツが悪そうに頷く。
「私のママ……、生んでくれたママの方ね。病気で身体が凄く悪いみたいなの。そして、ママは私に会いたがってる。最初は信じられなかったけど、お昼にママから本当のママじゃないって聞いて、お父さんの話が本当なんだと思った」
 涼子も含め三人とも黙って麻衣の話に耳を傾ける。
「本当のママじゃなかったこともショックだったけど、生んでくれたママが病気で苦しんでいるってことも本当なんだと思うと苦しくなった。すぐにでも会いに行ってあげなきゃって思って、何も言わずにお父さんを追ったの。ママと顔を合わせ辛くて黙って出ていったのもあるけど」
 麻衣から語られる言葉の数々は、涼子のみならず良樹や生みの母親への優しさで溢れており、涼子は涙ぐみながら話を聞いていた。

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