涼子さんの恋事情
第6話

 麻衣の引ったくり事件から一週間経ち、完全に日常生活に戻ったと思っていたつかの間、達也のミスが再び部署を賑わす。前回の件は誠治が見事にリカバリーしたが、今回は涼子が直々に動かなければならないケースとなっていた。誠治から顛末を聞くと、若干可哀相な部分もあったがミスはミスであり、どうにかしなければならない。
 冷たい雨が降りしきる暗闇の中、涼子の運転で山中にある沢間食品会長宅からの帰路にいる。酷似している原材料を沢間食品の社員と達也が揃って間違い納品してしまい、莫大な数の商品回収騒動となったが、今まで培ってきた涼子の人脈や人柄で異例の賠償金無しで決着した。宿泊先のホテルに帰る間、助手席で落ち込み続ける達也に涼子はイラッと来る。
「いつまでしょげてるの? もう全部済んだんだから切り替えなさい」
「はい……」
 そう返事をするものの達也の顔は浮かない。励ますことを諦めて、しばらく黙って運転していると達也が話し掛けてくる。
「部長、やっぱり僕ってサラリーマンに向いてないですか?」
「向いてないわね」
 涼子はばっさり切り捨てる。本人がやる気もないのに続けても、良い結果にならないことを経験上熟知している。慰められず切られたことで達也は溜め息をつき、再び黙り込んでいる。
(ホント情けない男……)
 涼子は仕方なく沈黙を破る。
「辞める辞めないはもう措いといて、せっかく名古屋まで来たんだし、美味しいものを食べて帰りましょう。何かリクエストはある?」
 涼子の問いに達也はパッと明るくなって答える。
「ひつまぶしが食べたいです!」
(コイツ急に元気になったわね。食い気があるだけまだマシか)
 悩み過ぎて過食症や拒食症になり辞めて行った同僚を見ており、涼子は内心ホッとする。
「うなぎ好きなの?」
「はい、それ以前に東京に来て外食やカップ麺ばかりで、まともな食事を取れてないんですよ」
「一人暮らしで初めてのサラリーマン生活だったら、自然とそうなるわよね。私も昔似たようなもんだったし。ま、早く彼女でも作ることね」
「彼女ですか。う~ん……」
 腕組みをし悩み込む姿に疑問を感じる。
「どうしたの?」
「いえ、改めて全く出会いのない三ヶ月間だったなと感慨深く」
「取引先とか、いい人は居なかった? わりと裾野の広い会社だし、出会いは多かったはずよ」
「正直余裕なかったですよ。初めてのサラリーマン生活で、着いて行くのがやっとでしたし」
「そう、じゃあ気になる人もなし?」
「気になる人、ですか。まあ、気になると言われれば気になる人はいますね」
「あら、どんな人?」
「それは部長と言えども企業秘密です」
「貴方の企業秘密なんて誰も求めてないと思うけど?」
「相変わらず手厳しいですね。とにかく秘密ですよ。部長こそ再婚の話とか出ないんですか?」
「企業秘密」
「部長の企業秘密は僕と違って本当にヤバそうですよね」
「分かってるじゃない」
 少し元気になった達也に安心し旅館に着くと、館内料亭でリクエストのひつまぶしを振る舞う。食べる姿は男子らしく豪快で、見ていて気持ちが良い。もしこれが手料理ならば作った側が嬉しくなる道理も分かる。
 晩御飯後は完全プライベートタイムとなり、涼子はゆっくりと温泉に浸かる。一人留守番をしている麻衣に少し悪い気もするが、たまに羽を伸ばせるのも出張の醍醐味と言える。しっかり温まり脱衣所から出ると、休憩所で将棋を指しているおじさん二人組が目に入る。当然ながら涼子は近づき戦局を眺める。
(先手が振り飛車、後手が棒銀か)
 岡目八目で自分が指してないときは流れがよく読める。
(これは後手が厳しいかな)
 じっと見ていると、いつの間にか達也も背後から覗いている。盤から少し離れると涼子から話し掛ける。
「びっくりさせないで。いつから居たの?」
「3八歩辺りからです」
「なるほど、あれは悪手だったわね。というか、そういう意味で聞いたんじゃないんだけど、結構前から見てたのね」
「はい、もう後手の負けですけどね」
(えっ? もしかして?)
「白川君、将棋出来るの?」
「まあ、普通に」
(これは良い暇つぶしになりそうだ!)
「白川君」
「はい」
「部長命令。今から私と将棋を指しなさい」
「えっ、はい。それくらいは別に問題ないです」
 戸惑う達也を引き連れて、涼子は自室に達也を引っ張り込む。いつもネット対戦ばかりしており、久しぶりの対人戦にワクワクしている。駒を並べている間も達也は少し困惑しているようで、涼子をチラチラ見ている。
「で、始める前に聞きたいんだけど棋力はどのくらい?」
「すいません、よく分からないです。爺ちゃんと遊んでたくらいなんで」
(なによ、初心者じゃない。まあいいわ……)
「じゃあ、二枚落ちのハンデ付けようか?」
「あ、ハンデはいいです。正々堂々戦いたいので」
「言うじゃないの。じゃあ負けた方はさっき車内で話してた、企業秘密を話すというルールでも付ける?」
「面白いですね。やります!」
「OK、私も面白くなってきた」
 達也の先手で始まり、二十分もしないで涼子は投了する。
「白川君」
「はい」
「プロでしょ?」
「いえ、一般人ですけど」
 将棋盤に目を落とすと圧倒的な棋力差を付けられて終わっている。
(プロじゃない。あっ、まさか……)
「お爺様はどんな方?」
「あっ、やっぱりそこ来ましたか。実は白川棋聖十段です」
「詐欺です」
 涼子は即答する。
「それはない! 私、絶対勝てないじゃない。黙ってるなんて反則!」
「いや~、でも勝負は勝負ですから」
(コイツ、しらっと言いのけよって……)
 恨めしげな表情とは反対に、達也はニコニコしている。
「約束ですよ。部長の企業秘密、話して下さいよ」
「結婚話はない。以上」
「いやいや、短すぎですって。恋人がいるとか、気になる人がいるとかないんですか?」
「恋人いない。気になる人いない、以上」
 真顔で言い切る涼子を見て達也は溜め息をつく。
「私、今の勝負納得してないから。六枚落ちで勝負して」
「ろ、六枚ですか!? まあ、いいですけど。今度は何賭けます?」
「白川君から何か聞きたいことがあればなんでも答えるわ、それでどう?」
「いいですよ。じゃあ六枚落ちで」
(飛車角に香車と柱馬落とせば流石に……)
 涼子の思惑とは裏腹に、六枚落ちでも圧倒的に負けてしまい沈黙してしまう。
「何聞こうかな? 恋愛関連は無意味そうだし、あんまりプライベートなことも失礼だし……」
 楽しそうに考えている達也とは正反対に、涼子は将棋盤を見つめたまま動けない。
(有り得ない。ネットでは上位レベルのこの私がこんなにもあっさりと……)
 黙り込んでいると達也が話し掛けてくる。
「じゃあ質問させて貰います。もし、僕が部長と付き合いたいと言ったらどうしますか?」
「お断りします」
 涼子は頭を下げて即答する。
「即答ですね」
「当然でしょ。将棋が強い以外に今のところプラス要素ないから」
「そう言われると言い返せないかな~」
 照れながら頭を掻く姿を見るも特段何の感情も沸かない。
(子供受けが良くて優しいところもあるかもしれないけど、付き合うとかは絶対ない。何より今まで見た男の中で一番頼りないし)
 この後、さらにハンデを広げて対局するも結局最後まで達也には勝てず、険悪な雰囲気のまま達也を部屋から追い出していた。

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