Love Butterfly
 それ以来、京子はもう、ほんまにおらんようになった。崇大は、どっかのヤクザに売られたか、海に沈んでるか、どっちかやろうって、悲しそうに言った。どっちにしても、地獄は地獄で、結局俺は、何もできずに、京子を見殺しにしてしまった。
 俺は毎日、普通に会社に行って、時々バイクに乗って、普通に大人になっていく。これが、普通やと思ってた。こんな俺でも、こんな普通の人生やのに、京子みたいな、あんな純粋で、なんの罪もないような子が、なんでこんなことになるんか、俺にはわからん。
 わからんけど、俺にはもう、どうしようもなかった。
 ガキで、非力で、根性なしの俺には、もう、どうすることもできなかった。

 それでも、俺はやっぱり、京子のことが忘れられなかった。無駄やってわかってても、俺は、京子に最後に会った場所に、通っていた。毎日やないけど、同じ場所で、同じ時間に、京子を探した。
 三ヶ月くらい経った頃、うろうろと京子を探す俺に、男が声をかけた。
「失礼ですが、お尋ねしたいことがあります」
 多分、歳は俺よりちょっと上か、全身真っ黒のスーツで、シャツもネクタイも黒で、髪の毛はガチガチに固めて、もう、見るからに、ヤクザな男が、礼儀正しく、俺の後ろに立っていた。
「な、なんですか」
「人を、探しておりまして」
 ヤクザは、人を探しに、東京からわざわざ通っているみたいやった。
「十六か十七くらいの、女の子なんですが」
「え?」
「数ヶ月前まで、この辺りで、客をとっていたらしいのです」
まさか……こいつ……
「あの、その子の名前、わかりますか」
「キョウコ、というそうです」
京子……
「特徴は、痩せていて、目が大きくて、左手首に傷があるそうです」
間違いない。こいつは、京子を探している。でも、なんでや。なんで東京のヤクザが、京子を探してるんや。
「お心当たりが、おありですか」
 俺は、迷った。なぜ、東京のヤクザが、わざわざ京子を探しに来ているのか。京子の元締めは、多分、あのホストみたいなチンピラのはずや。崇大がゆうとった、石田組のおっさんの舎弟かなんかで……もしかしたら、あのモデル……あのモデルが、そのまま東京に連れて行ったんかもしれん。そして、京子は逃げた。だから、こいつは、あのモデルの舎弟かなんかで、大阪まで探しに来てるんや。
「その子が、どないしたんですか」
「ご存知なんですか」
 そやけど、このヤクザは、あのホストみたいに、女を飼い殺しするようなヤツには見えへんし、あのモデルかて、そんなムチャなことをするようには見えへんかった。もしかしたら……京子に会えるかもしれん。俺は、そのヤクザを信用することにした。理由はないけど、そのヤクザは、信用できそうやった。
「ちょっと、向こう、いきましょか」
 俺らは、寂れた喫茶店に入った。客は俺らしかいてへんし、ヤクザらしいやつもいてない。あの場所やったら、あのホストがおるかもしれんと、俺はびびっていた。
「その子は多分、俺の……知ってる子です」
「本当ですか」
「でも、三ヶ月位前に、おらんようになりました。そやから、俺も、あの場所で探してるんです
 ヤクザはちょっと黙って、何か考えてるようやった。そして、ちょっと失礼します、と言って、電話をかけた。電話をしながら、俺の顔を疑い深く見て、誰かの指示を聞いているようやった。最後に、わかりました、と言って、電話を切った。
「私は、島津翔と申します。正直に申し上げますと、構成員です」
やっぱり、本気のヤクザやった。チンピラとは、目つきが違う。
「私の上司は、上杉と申しまして、舎弟頭をやっております。ああ、舎弟頭というのは……」
「偉いさん、ですか」
「まあ、そうです。実は、三ヶ月前に、あの場所で、そのキョウコという女を……その、買ったらしいのですが……」
 島津はちょっと口籠って、言葉を探している。
「金でも、盗んだんですか」
「いえ、そうではありません。上司は、その……彼女を、東京に連れて帰ろうとしたのですが、朝起きると、もういなかったそうなのです」
「逃げた、ゆうことですか?」
「逃げたというか、別に、東京に行こうと、話をしたわけではなかったし、何かを盗んだということもなく、ただ、消えてしまったらしいのです」
「そんなら、探す必要、ないでしょう」
「そうなんですが……」
「なんなんですか。ああ、東京で囲うつもりやったのに、とかですか」
「正直、私にも、その……なぜこんなにその子を探すのか、わからないのです。私どもは、なんというか、上の命令は絶対ですから……上が探せといえば、理由などなく、探すのです」
 どうやら島津自身も、なぜ自分がわざわざ大阪まで来て、そんな女を探しているのか、わかってないらしい。
「見つけたら、どうする気なんですか」
「生きていればいい、というだけのようです」
 ようわからん。俺らはそのまま、無言になった。そもそも俺も、京子をこうやって探しているけど、見つけたらどうする気なんや。一度ヤクザにつかまった女なんか、そう簡単に取り戻されへん。そやけど……俺は無理やけど、こいつの上司やったら……京子を助けてくれるかもしれん。
「島津さん。京子は、たぶん、チンピラにかわれてました」
「そのようですね」
「そいつは、石田組っていう組の、チンピラです」
 島津は、手帳を出して、俺に写真を見せた。
「この男ですか」
 その写真には、確かにあのホストが写っていたけど、その中のホストは、確実に、生きていない。
「死体で見つけました」
ホストは、目を見開いて、口とこめかみから血を流して、死んでいた。
「他に、何かご存知ありませんか」
「俺が知ってるのは……ああ、そうや。京子のオヤジさんは……」
 どうしよう。これは、ゆうてもええんやろうか。ホストかて、死体で見つけたゆうてるけど、こいつらがやったんかもしれん。でも……京子が助かるんやったら……
「京子のオヤジさんは、有名な弁護士です。テレビにも、よう出てる……名前は櫻井です」
「その子の名前は、サクライキョウコというんですね」
「そうです。サクラは、難しい櫻で、キョウコのキョウは、京都の京です」
 島津は目を光らせて、電話をかけている。どうやら、かなり有効な情報やったようや。
「ありがとうございました。これは、お礼です」
そう言って、封筒を出した。中には一万円の束が入っていた。
「では、私はこれで」
島津は、コーヒー代に一万円札を置いて、足早に店を出て行った。そして俺も、慌てて島津を追いかけて、店を出た。
「島津さん! ちょっと待ってください!」
島津はもう、停めてあったアウディに乗るところやった。
「島津さん、あの……」
「なんでしょうか」
「京子はその……俺の……カノジョなんです」
「そうですか。それで」
「だから、俺も……京子にもう一回、会いたいんです」
「あなた、その京子という子が、カラダを売っていたことを知ってたんでしょう」
「……知ってたというか……」
「上司が、言ってました。その子を買った時、若い男が二人、その場にいたと。そして、彼女は、その男二人に、悲しそうに手を振ったと」
「あの時は……その……俺……」
 島津は、俺の襟を掴んで、低い声で言った。
「てめえ、大事な女見殺しにして、今更何言ってんだよ」
俺は、土下座をした。生まれて始めて、土下座をした。
「お願いします! 京子を……京子を助けてください!」
もう、この島津と、その上司とやらに、頼るしかなかった。情けないけど、俺にはもう、京子に会う資格も、何もないけど、こうやって、どうにか京子が助かるんやったら、もうそれでよかった。
 島津は何も言わんと、車のドアを開けた。俺は封筒を返して、お願いします、と何度も頭を下げた。
「……他に情報があったら、ここに連絡してこい」
 島津の手には名刺があった。札束の入った封筒は、土下座する俺の膝に投げつけられて、そのままドアが閉まって、アウディは走り出した。

 たぶん、京子は生きてる。どっかで、確実に生きてる。でも、もう、大阪にはおらん。たぶん、京子は……東京におる。
 あたりは真っ暗で、あの夜と同じように、ギラギラとネオンが汚い川面に揺れている。
 この汚い川……東京に、つながってるんやな……東京……東京に……

< 22 / 39 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop