アマリリス
第3話

 病院のロビーで見つめ合う二人だが、美玲の方から口を開く。
「貴方、確か屋上で会った……」
「はい、奇遇ですね。またここで会うなんて」
「今日は昼間だけど? イルミネーションなら夜でしょ?」
「今日はお見舞いですよ」
 そう言って男性は穏やかな顔を見せる。
(前にも思ったけど、この雰囲気、どこかで会ったような気がする)
 疑問に感じつつも、お見舞いという単語を聞いてハッとする。
「あ、こんなことしてる場合じゃない。私も急がないと」
「なんか、いつも忙しそうにしてますね」
「忙しそうじゃなくて、忙しいの。じゃあね」
 男性の素性が気になるものの、現実的な忙しさがそれを打ち消し、美玲は小走りでエレベーターへと向かった。病室に入ると由美香が笑顔で迎える。中学生になった最初のクリスマス前に持病の喘息が発病し、以降ずっと入院しており母としてはその笑顔を素直に喜べない。
「体調はどう?」
「いつも通り。可もなく不可もなく」
「そう、でも不可でないだけ安心よ」
「うん、早く退院したいんだけどね」
 そう言いながら由美香は窓の外に視線を移す。自身の病気のことはちゃんと理解しており、それを受け止める強さも持っていると美玲は思う。反面、常にそんな強気な状態ではいられず、自分が帰った後、枕を濡らすこともあるだろうとも考える。意味深な表情で見つめていると、由美香がふいに振り向く。
「そうだ、さっきここに入ってきたとき笑顔だったけど、お母さん何か良い事でもあった?」
「えっ?」
 予想外な問いであっけに取られる。
「特に何もないけど?」
「そうなの? 病室に入ってきたとき、なんか嬉しそうにしてたからてっきり」
 由美香の質問を適当に流しつつ、時間になり病室を後にする。
(さっき嬉しそうって言ってたけど、なんだろ。特にこれと言ったシーンも……)
 エレベーターを降り、由美香からの言葉を反芻しつつロビーを歩いているとハッとする。面会する前にあった出来事はこの場所で、あの男性と話したことくらいだ。
(まさか会えて嬉しかったとでも? 名前すらも知らないあの人とのことを)
 その考えに苦笑しながら駐車場に向かうと、その先にパンクした車を修理するスーツ姿の男性を見かける。嬉しさの要因を確かめるべく一瞬声を掛けようと思うが、バイトの時間も差し迫っており、遠巻きに見つめその場を後にした。

 清掃のバイトは内容の割には自給が良く、家計に大きく貢献している。同僚の八重も同じように感じており、その点についてよく話す。
「やっぱり深夜手当てが大きいわよね。私今月かなりいきそう。神宮さんもかなりの出勤だし凄いんじゃない?」
「まあね、でも私の場合は入院費とかあるから、右から左って感じ」
「そうよね、母子家庭だし大変よね~」
 母子家庭だからか大変という言葉をよく吐かれるが、由美香に対する労力は苦労ではなく、大変とも思ってはいない。娘を育てるのは親として当然の責務であり、それを苦労と表現されることに抵抗感を覚えていた。さりとて、それに食ってかかるような元気もないのでスルーする事に努めている。
「ところで、神宮さんって彼氏とかいたりする?」
「いないわ。そんな余裕ないもの」
「もったいない。神宮さんの器量ならまだまだイケるわよ?」
「あはは、それはどうもありがとう」
(余計なお世話も甚だしいわ)
「ここだけの話なんだけど、私、彼氏いるの」
 笑顔で語る八重を見て頭の中に当然の疑問が浮かぶ。
「彼氏って、旦那さんのこと?」
「違うわよ。彼氏よ彼氏」
(ああ、そういうこと……)
 喜々として不倫の話をする八重を表面では笑顔で、内心は軽蔑しながら見つめる。元夫の酒乱と浮気には辟易しており、八重の行為は自身の中では絶対ありえない選択と言える。自分の欲望に走り、相手の気持ちを全く省みない人間を尊敬などできない。
 浮気の全てを一緒くたにして断罪するつもりもないが、自分のことしか頭にない人間の言動は何にせよ気分の良いものではない。若い男を金の力で引き止めている八重の話は聞くに堪えない内容であり、溜め息が出るのを必死で耐えながら耳を傾けていた。

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