アマリリス
第4話
(side story 2)


 二百五十年前、小高い丘の上にある一軒の小屋が見える。その小屋の前には小さな花壇があり、色とりどりの花が見てとれる。種類も豊富で、パンジー、チューリップ、マリーゴールド、アマリリス。その全てが綺麗に咲き誇り、蝶の群れが楽しそうに飛び回っている。
 花壇の見える小窓からは女性の姿が見られ、窓より吹き込む温かな風を身に受けている。真っ白なドレスを着たその女性はエマと言い、誰もが振り向く美貌を湛えていた。小窓から覗く美貌のエマは巷で知らぬ者はおらず、当然のように口説き落とそうと様々な男達が絶えずやって来る。精気溢れる青年、金持ちの伯爵、それぞれの価値観においた金品を片手に膝を折るが、エマは一言も発せず小窓から笑顔を見せ首を横にした。そう、エマは音を知ることない世界で生きていた――――

――まだ幼少だった時分、たった一人の肉親であった父を事故で亡くし、その精神的なショックは聴覚を奪い、エマの世界は大きく暗転した。いつも明るく太陽のように輝いていた笑顔は雲に隠れたようにひそめ、開けば天使の囀りのごとき美声も聞かれなくなった。
 得意だったバイオリンも耳が聞こえないのでは意味もなく、埃まみれのケースから現われることはない。幸い、生前の父が残した遺産で食うに困るようなことにはならなかったが、それでも世界から孤立した感覚が身をまとい、買い物以外に外出はせず小屋に鍵をかけ閉じこもっていた。
 ある日、買い物に出かけた先の道端でエマはアマリリスの花を見かける。その赤いアマリリスは日陰と連日の猛暑によりくたびれかけていた。エマは川で水を汲み、そのアマリリスにそっと注いだ。なぜ自分がそうのような行動を取ったのか不思議だが、そのときは自然と身体が動いていた。
 数日後、再び町へと買い物に降りたとき、あのアマリリスのことが気になり道端へと足を向ける。そこには人だかりができており拍手をする様子から、アマリリスの側で誰かが祝福を受けているように見受けられる。人だかりが引くのを待ち、側に行くとそこにアマリリスの姿は無く、誰かが持ち去ってしまったことを悟る。それは同時に、あの枯れかけたアマリリスが再び元気に花を咲かせたことを意味し、多少の寂しさはあるもののエマは嬉しく誇らしくもあった。

 アマリリスの花を真新しい鉢植えに移し変え、陽のよく当たるであろう窓際に置く。ベッドに座るとタスは心の中で念じるようにアマリリスに話し掛ける。
「今日はありがとう。君のお陰で僕はこうして宿に泊まれた。ご飯にもありつけた。これから進むべき道も理解できた。君は命の恩人だ」
 タスの言葉にアマリリスは答える。
「私はきっかけを与えたに過ぎない。君にはもともとそのような才能があったのだ」
 通りで歌ったことにより通行人から思いもよらず多額の謝礼金を受け取ったタスは、数日ぶりの食事と忘却するほど久しいベッドを得た。今日の時点で歌唱のリクエストもあり、明日からの予定にワクワクしている。
「そうだとしても、そのきっかけを与えてくれたことで僕は変われた。命を救ってくれた」
「君は大袈裟だな。命の恩人か……、実は私にもそう言える人物がいる」
 アマリリスは数日前に水を与えてくれた少女の話をし、いつかお礼を言いたいと述べた。
「じゃあ、その少女は僕の命の恩人とも言えるね」
「そういうことになるな」
「分かった。その少女を探して君と会わせるよ。これが僕の恩返しだ」
「なるほど、それは良い提案だな」
「あ、でも君の寿命がそれまで持つかな?」
 心配そうに見つめるタスにアマリリスはきっぱり言い放つ。
「私は死なないよ。これでも君の何十倍もの年月を生きている」
「何十倍!?」
 タスは思わず声を漏らしてしまい口をつぐむ。
「嘘でしょ?」
「本当だ。花が枯れても球根が生きていて花を咲かす力が溜まれば、そのときに再度咲くのだ」
「そうか、じゃあこれから僕と一緒に生きて、一緒に少女を探そうよ。いい案だと思うけど」
「そうだな、君といると退屈しなさそうだ」
「よし、決まり! じゃあさ、君の名前を決めよう。きっと名前なんてないよね?」
「ないな。強いて言えば、道端アマリリスだな」
「それは味気ないよ。じゃあ、こういうのはどう? レオ」
「レオ? なぜだ?」
「なんとなく」
「…………、まあいい。君がそういうのなら、私はレオなんだろうな」
 レオは満足そうにたたずみ、タスも楽しそうに夜空に浮かぶ月を眺めていた。

< 4 / 19 >

この作品をシェア

pagetop