アマリリス
第8話
(side story 4)


 レオを失った日より、タスの人生は再び大きく変わった。全身の傷が治ったころにはバイオリンを引くことも出来たが、レオが居た頃とは違いその演奏に花が無くなった。技術はあるが、心がボロボロになったタスに、皆の心を震わせ感動させる演奏ができる訳もなく、その日暮らしがやっとの有り様となっていた。何より、花の言葉が聞けなくなったことが大きく、レオの恩人探しも完全に頓挫することになる。
 幼少の頃と同じように飢えに苦しみ、道端で眠るようになり心身ともに疲れ果てたタスは、それでも当てのない放浪の旅を続けた。レオの語った容姿の女性を見かければ、アマリリスの話をし違うと分かれば次に行く。果て無い旅となることは理解していたが、今のタスにはそれが唯一の生きる意味であり存在意義でもあった。

 そんな当てのない旅を続けて数年、小高い丘にある一軒の小屋を見つける。本来ならば人通りの多い街で人探しをするのが通例だが、その小屋の周りは遠目でも分かるくらい美しい花々が見られ、その美しさに惹かれ足を運ぶ。チューリップやマーガレット、マリーゴールドにカーネーション。花壇に咲くその花々はとても輝いて見え、この花壇の手入れをしている人物がどれほど丹精込めて育てているのかが分かる。
 花の香りとその花を楽しそうに飛ぶ蝶を見て楽しんでいると、背後の道から白馬に乗った騎士が現れ、件の小屋の前に歩いて行く。護衛の近衛騎兵も数人従えており、身分の高さが伺える。小屋から少し離れた花壇より眺めていると、騎士は窓辺に跪き声をあげる。
「麗しきエマ、貴女の美しさはこの世のどの女性も敵わない。麗しきエマ、貴女の美しさは国を救い慈愛で満たす。どうかお願いです。その美しさでこの国を救って頂きたい。我が伴侶となり共に国の礎となりましょう」
 騎士の台詞からその人物が王子と踏んだタスは、興味深げに成り行きを見守る。しかし、屋内からは何の反応もなく、しばらくすると近衛を引き連れ騎士は去って行く。小屋の女性に興味が湧くものの、王子すらを突っぱねるその存在は少々怖い。花壇に咲くマリーゴールドに目をやるとすっと座る。
「君たちを大事にしてくれる女性は一体どんな人なんだい?」
 訊ねてみるが返事はない。正確には返事を聞き取ることが出来ないのだと察する。しゃがみ込んで溜め息を吐いていると、再び小屋に向かう人物が現れ、その老人は荷物を運び入れ直ぐに出て来る。王子と違い話し掛け易いと判断したタスは小走りで老人に向かう。
「あの、ちょっとお聞きしたいのですが、あの小屋にはどんな人が住んでるんですか?」
「ん? エマ様のことか? 彼女はとても美しい方で求婚者が絶えないお方。しかし誰もエマ様の心を動かした者はいない。ワシは数年買い物の手伝いをしているがエマ様のお考えはわからぬよ。アンタも求婚目当てなら諦めた方がいい」
 そう言って去って行く老人を戸惑いながら見送ると、再び花壇に足を向ける。窓辺から一番綺麗に見える花壇にはアマリリスが咲き誇っており、タスの心には自然とレオとの思い出がよぎる。
(レオ、君の仲間がたくさんいるよ。でも、昔のように僕には彼らの声を聞くことができない……)
 アマリリスの前にしゃがみ込むと、ケースからバイオリンを取り出す。
(声を聞くことも、言葉を伝えることもできない僕だけど、レオという立派な仲間が居たことを君達たちに教えたい。この想いをメロディーに乗せて)
 深呼吸をすると、タスはゆっくりと優しく弓を引いた――――


――成人し大人になったエマだが、音の無い世界から一向に出られる気配はなかった。医師の話でも心因性の原因であり、何かのきっかけがあれば再び聞こえるようになると説明される。
 しかしエマは今の環境が嫌いでもない。人の悪口や噂を聞くこともなく、目に映る美しい花を見て過ごす日々。穏やかな気持ちで居られるのなら、ずっとこのままでも良いと考える部分もあった。
 引っ切り無しに来る求婚の相手も、自分の耳が聞こえないと知ると去って行くに違いない。落胆されいつか捨てられるのなら、最初から一人の方がいい。傷つくくらいなら花を見て穏やかに毎日を送った方がいい。
 エマは自身の持つコンプレックスと孤独を押し込め、ずっと求婚を断っていた。そして、求婚を断る理由はそれ以外にもあり、窓辺にたたずむ自分ばかりに目を向け、花壇の花に見向きもしない相手に辟易しているのもある。
 丹精込めて咲かした花々に見向きもされないことは、耳の聞こえない自分自身を無視されているようにも感じ取れ、それだけで心が冷めた。
(私は花と同じ。声の届かない相手と知れば、愛の言葉も掛けなくなるだろう。聞こえずとも、愛は感じることができるのに。愛が無ければ花も綺麗に咲くことはできないのに)
 溜め息をつき窓辺から映る花壇を見つめていると、アマリリスの花壇に歩み寄る男性に気が付く。花泥棒かと一瞬警戒するも、次の動作を見てエマは驚く。
(バイオリン? まさか、アマリリスに向かって演奏を!?)
 息を呑んでその様子を眺めていると、男性はゆったりとした動きで弓を引き始める。当然ながらエマの耳には音は届かないが、興奮しながら窓を開放し、その音を聞こうと努めて動く。
(やっぱり聞こえない。聞きたい、どんな音なのか、どんな想いでアマリリスに向かっているのか……)
 エマは目を閉じ心を落ち着かせる。耳に神経を集中させ、花壇に咲くアマリリスと同化するかのようにイメージする。すると次の瞬間、微かなビブラートが聞こえたかと思うと、脳内には一面真っ赤なアマリリスの風景が現われる。窓を拭きぬける風を感じ、パッと目を開けるとさっきまで居た世界は崩壊し、美しいメロディーがエマの全身を包む。
(この曲はアマリリス! 私が子供の頃に歌い弾いてた曲!)
 両腕に鳥肌が立つのを覚えると、急いで衣装ケースにしまってあったバイオリンケースを探す。ケースから取り出すと緩めていた弦と弓毛をしっかり張り直し、音が出ることを確認すると窓辺に立ち流れるメロディーに合わせるように弓を引いた。

< 8 / 19 >

この作品をシェア

pagetop