ビターチョコ
廊下が混雑するので、一年一組から順に教室に移動するように言われる。

待つ時間がもどかしい。

私が所属するのは四組。
まだ、このパイプ椅子に座っていなければならないのだ。
前を見ても、後ろを見ても、左右を見ても、知らない人だらけだ。
しかも、心なしか大人っぽい。
私とは住む世界が違う人種だ。

小中学校時代は極力、人と関わることを避ける日々だった。
最低限の会話しかしていない。

高校では、さすがにそうはいかないことは分かっている。
だからといって、今すぐに「どこの中学校?」などと笑顔を張り付けて話しかける気にはなれない。
そんな自分を想像すると吐き気がする。
そんな愛想のよさとコミュニケーション力はあいにく持ち合わせていない。
持ち合わせていたら、中学校に入った年からいじめられてなどいない。


それにしても、入学式の途中で母のことを思い出してしまったからなのだろう。

その当時のことがまだ脳内にフラッシュバックする。

母の同僚で医師の女性がずっと理名の傍にいてくれたこと。
その日は食事の支度もたまった洗濯物の片付けも、何も手につかずに、病院のレストランで夕飯を済ませたこと。
かつ丼を注文したが、母の味といやがおうでも比べてしまい、箸がなかなか進まなかったことまで思い出した自分に苦笑いしか浮かんでこない。

いろいろな気持ちがこみあげてきて、目の奥が熱くなった。

これ以上はまずい。

少し涙が零れたくらいなら、怪しまれても「目が痛い」で誤魔化すことは可能だ。
そんなことを思った刹那、マイク越しに教頭の声がした。

「一年四組の生徒は教室に向かうように」
 

行かなければならない。

いつまでも、こんなところで過去に浸っている時間はないのだ。
そう思ったところで、思い出してしまった記憶は簡単に途切れてくれそうになかった。
こんな時、話しかけてくれる人でもいればいいのだが、期待するだけ無駄だろう。

早く教室に到着して、少し一人になって落ち着く方が賢明だろうか。
私はそう考えた。


他の生徒が少しでも友達を作ろうと話しかけている光景には目もくれず、スタスタと早足で歩いた。
教室に入る。
黒板には「入学式おめでとう」の文字が色とりどりのチョークを使って書かれていた。
ご丁寧に雲のような枠で文字が囲んである。

普通の女子ならば、センスがいいなどと思うところなのだろう。

しかし、それよりも私はこんなものを今日入学した一年生のクラスの黒板に書いた人の苦労を慮った。
さぞかし、労力を使ったことだろう。

その脇に、紙が貼られている。

出席番号が各々に割り振られた名簿と、座席表だった。
この番号順に座れということらしい。



窓側の三番目の席に腰を下ろし、窓から見える景色に目をやる。
ひらひらと桜が舞っている。
この桜は、天上にいる母が風でも吹かせているせいで散っているのか、などと考えてしまう。
こんな奇想天外なことを考えてしまうほど、私の脳はかなり疲れてしまっているようだった。
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