ビターチョコ
昇降口から外に出てしばらく歩いた。
さすがに疲れが溜まっているのか、学校の最寄り駅に向かう足は、ゆっくりとしている。

私の後ろを、仲良さげにふざけ合う男女が追い抜かしていく。
制服を着崩していないところを見ると、男女どちらとも同学年だろう。
身長は170と少しある理名より小さい。
真新しいブラウスから、胸の膨らみを主張しているのが憎々しい。
男の方は、理名より10センチほど高い。

その男女の後ろ姿には見覚えがあったような気がした。
しかし、すぐに思い出せるはずがなかった。
私は元来、他人にはさして興味がない。

首を一度横にひねった後、一言呟いた。

「リア充め」


軽く舌打ちをしてから、理名は最寄り駅を目指して再び歩き出した。
 

『正瞭学園前《せいりょうがくえんまえ》』。
ここが、高校の最寄り駅だった。
学生が多いのか、ファミリーレストランやファストフード店、カラオケ、コンビニまで充実している。
ここは金銭的に裕福な生徒が多く通うというから店もさぞかし商売が潤うことだろう。


私の家は裕福ではない。
むしろ貧乏の部類に入る。
理由はただ一つ。
医学部への進学率が70%と高いことだ。
目標はここにしか定めていなかった。

必死に、この高校の学力レベルに追いつくために、深夜まで苦手科目の文系の穴をできるだけ埋める努力をしたのだ。
毎朝のように目の下に隈を作って登校していたから、中学校の当時の担任に何度心配されたか分からない。

それも、今となってはいい思い出だ。

電車の座席に腰をおろして流れゆく景色を眺めながら、ぼんやりと懐かしい日々を回想していた。

電車のアナウンスが聞こえた。

『まもなく、しんばらぁ~。しんばらです。通過電車を待ちます。
お降りの際は、足元にご注意の上、黄色い線の内側をお歩きください』

降りなければ。


電車を降りて、改札への階段を上がる。
同じく入学式だったのか。
制服姿の中高生は何人か見たけれど私と同じ制服の人はいなかった。
その光景に寂しさを覚えた。

誰かと一緒に帰るとか、すれば良かった。

グレーが基調のブレザーに、同じくグレーをベースに赤と黄色の線で作られたタータンチェック模様のスカート。
なぜか女子も制服がネクタイで、しかもオリーブみたいな緑色。
ワイシャツはアイボリーに近い白。
胸ポケットには校章がプリントされている。
私が着ているのはそんな制服だ。
センスが悪いとか思われていても気にしていない。

改札を通り過ぎ、家を目指して歩いた。


「ただいま」
 

古びた一軒家。
築40年の目の黒い瓦屋根が、今時珍しい。

家の前で足を止める。

ゆっくりドアを開けて、こう呟いた。

「おかえり」の返答なんて聞こえなかった。
迎えたのは父の声ではなく、時間も、自分が今いる場所さえも忘れてしまいそうなくらいの静寂。
大きく溜息をついてリビングへと入り、重いスクールバッグをソファに置いた。

ふと、テーブルの上の紙切れに目が留まる。
出版社で管理職をしている父らしい達筆でこう書いてあった。


『理名へ
入学おめでとう。
仕事だから式にも顔を出せず、悪かった。
今日は仕事で付き合いがあるから、父さんは外で食べてくるよ。
だから理名も夕食は自分で食べてくれ。

父さんが帰って来る頃には理名は寝ているだろうから、先に言っておく。
おやすみなさい。 

父より』
 
私はその紙切れに書かれた文字に目を通すと、それをソファに放り投げて呟いた。

「何が付き合いよ」
 
私は、父がもう高校生という妙齢になった私自身を心配して、「付き合い」という印籠を掲げて「新しい母親探し」をしているのだということを勘付いていた。
そうでなければ、財布から父の収入に見合わない鞄の領収書や、父が好まない派手なネクタイを付けているはずがないのだ。
父も父だ。

「新しい母親探し」は、娘である理名に直結する問題のはずだ。
当事者である理名に秘密にして活動をする意味が全く理解できないでいた。
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