想い涙
男女の友情は成立しない
水色のマグカップ。
ぐるりと室内を見渡して、やはり一際目を引くそれを持ち上げる。
「ゆきっぽい部屋だよね」
インテリアは彼女自身のファッションと同じく、シンプルだけれど、どことなくセンスの溢れるもので揃えられていた。
ベッドやローテーブル、マガジンラックをはじめ、こまごまとした物まで木製で統一され、吹き込む風に揺れるレースカーテン。
部屋の中央に敷かれたダークブラウンのラグに体育座りをして、背後にあるベッドにもたれかかる。
大学生の一人暮らしとは思えない、凝った部屋だった。
ベッドに置かれた麻のクッションを勝手に拝借して、まるで自分の家にいるかのようにくつろぐ。
「どういう意味よ」
キッチンに立つゆきは、着々と昼食の準備を進めていた。
フライパンには切るのを手伝わされた野菜とオリーブオイルが投入されて、慣れた手つきで炒められていく。
「褒めてるの。女子力高いなーって」
「うちなんか全然だよ。もっと家具に手間とお金をかけてる子なんていっぱいいるし」
謙遜しながらも、ホールトマトの缶を手早く開け、他の調味料と共に野菜に絡めていく。
「部屋のことだけじゃなくて、パスタだってソースから作ってるしさ。今時、茹でたパスタに和えるだけでいいソースっていっぱいあるじゃん」
「だって、出来合いのソースってあんまりおいしいと思えないんだよね」
「出たよ。料理のできる女子がよく言う言葉」
「何それ」
「ちなみに他には、外食先で言う『これなら家でもつくれるかも』っていうのもあるよ」
確かに口にした記憶がある、と言いながら、ちょうど良く茹で上がるように計算されたパスタをフライパンに移し替える。
軽くそれらを混ぜ合わせると、あっという間に完成。
「料理のできる女子っていう言葉は否定しないんだ」
「まあね。かわいい未花と違って、わたしには胃袋を掴むことぐらいしか売りがないんで」
「やだ、照れるー」
「見た目じゃなくて、そういう残念な性格がかわいいって意味ね」
「ちょっとひどくない?」
会話こそ成り立っているものの、ゆきはいつの間にか冷蔵庫からバジルを取り出し、盛りつけに夢中でこちらに見向きもしない。
当然わたしの手の中で遊ばれているマグカップに気づいてもいなかった。
そのマグカップはマガジンラックの上に、インテリアの一部として飾られていた。
レースのコースターに乗せられ、埃が入らないように口は下に向けられ、大事なものであることはすぐに察せられた。
「文句があるなら食べなくて良い」
「お母さんみたいなこと言わないでよ」
目の前に四枚の皿が並び、食欲をそそる香りに我慢しきれなくなり、そこそこ派手な音を立てておなかが鳴った。
立ったままのゆきに冷めた目で見下ろされる。
「あんたさ」
「今の聞こえちゃった?」
「この至近距離であの大音量じゃ、聞こえない方がおかしいから」
ゆきは抱きしめていたクッションを引き抜くと、ベッドの上に放り投げる。
「未花はシミ付けそうだから、食べてる間は一切布製の物には触らないでね」
「扱いがひどい。一応わたし、お客さんだよ」
「だから料理つくってあげたでしょ」
「野菜切ったじゃん」
「ナスとタマネギだけね」
悪態を付いている間にも、紙ナフキンが机に敷かれ、フォークとスプーンがその上に乗せられる。
「紙ナフキンって一般家庭でも買えるの?」
「百均に行けばあるよ」
最後に人数分のコップと水の入ったピッチャーがテーブルの上に置かれた。
ボトルには輪切りにしたレモンが入れられ、もう何も言う気が失せてしまった。
準備は完了したようで、ゆきは対面にようやく腰を落ちつかせる。
「待って、なんでこのカップがここにあるの」
ようやく、テーブルの端に乗せられたマグカップの存在に気づいたゆきは、奪い取って元の場所へ戻す。
「今のマグカップって何?」
心なしか、ゆきの表情が赤くなったような気がした。
きっと、彼氏からの贈り物なのだろう。
「……二人とも帰って来るの遅いね」
「あからさまに話題そらさないでよ。いいじゃん減るもんじゃないしー」
壁に掛けられた、木製のシンプルなデザインの時計を見上げる。
黒い鉄製の短針は、買い出しに出た二人が帰ってきてもおかしくない時間を指していた。
ゆきはフォークを裏返しにしたり、また表に戻したりしながら、ため息をつく。
「わかると思うけど、そのマグカップって選んでもらったんだよね」
主語が抜けてはいたけれど、その人物が買い出し中のゆきの彼氏だということは容易に予測できた。
「でも、おそろいじゃないんだ。わたしはマグカップがほしくて、あっちはスピーカーを欲しがってたから、お互いにお互いのほしい物を選んだの」
「どうせだったら、カップだけでもおそろいにすればよかったじゃん」
「わたし、そういう女の子が好きなことって苦手なの」
「あー、わかるかも」
ゆきは女子力が高かったが、同世代の女子と比べて大人びていて、淡泊な部分があった。
言われてみれば、彼氏とおそろいの物を使用しているゆきの姿には違和感がある。
「結局、マグカップを使いたくて買ったのに、割るのが怖くて、自分で新しいのを買ったの。ばかだよね」
自虐する割には、ゆきの笑顔は柔らかかった。
「このマグカップを見ると、スピーカーのこと思い出すの」
「スピーカーって、選んであげたやつ?」
「そう。原色系の赤いスピーカーなんだけど、派手だからってわけじゃなくて、それもあるかもしれないけど、なんていうか」
彼女にしては珍しく、はっきりしない言い草だった。
「わたしが選んだスピーカーがあいつの部屋にあるんだなって思うと、お互いの空間を共有できた気がして」
マグカッップを見上げるゆきの背中は、女のわたしでも抱きしめたくなるような、甘い空気を放っていた。
「一緒にいるわけじゃないけど、繋がってるんだなーって」
「いいなー」
わたしと違って女の子らしさが詰まったその背中に、つい、そんな言葉が口をついて出てしまった。
「未花には准くんがいるじゃない」
「うーん」
「え、うまくいってないの?」
パスタにフォークを突き立てて、くるくると回す。
「わたし、准のことが本当に好きなのかなって疑問に思うんだ」
「どういうこと?」
「最初は准とはただの友達だったって言ったじゃん、今も友達といるような感覚なの。キスするときも、正直言って、違和感がするんだよね」
フォークと皿が当たる音だけが響く。
「准とは高校に入学してすぐに仲良くなってさ。高二になって『彼女ができた』って言われたときに、当然だけど今までみたいに仲良くすることはできないって気づいて、そこで初めて、告白しておけばよかったって思ったの。だから恋人としての好きと違うっていうか」
口に出しながら、高校生だった自分を回想する。
卒業してからあまり経っていないのに、高校時代の自分が懐かしく思えた。
「でも結局、そのときの彼女と別れて告白してきたのは、准くんだったんでしょ?」
「実は彼女と別れたのも、わたしが原因でさ。准から卒業後の進路のことで彼女とうまくいってないって言われたの。ひどいんだけど、チャンスじゃんって思って、別れればいいってアドバイスしちゃった」
「ひどくないよ。准くんも少なからず、未花に気があったから相談したんじゃないの?」
「結果はね。准もわたしとは友達でいたかったのに、当然だけど彼女からわたしとは会わないでって言われて、ずっと心に引っかかってたんだって。でも准ってお人好しだから、彼女に別れたいって言えなくて、ずるずる付き合ってたらしいの」
ゆきはため息をつく。
「男ってみんなそう。はっきりしろって話よね」
苦笑いして、水を飲む。
「未だに、友達のままでよかったんじゃないかって思うときがある」
「そんなことないよ。だいたいさ、男友達じゃあ、一生付き合っていけるかわからないんだよ?准が結婚したらさ、奥さんからしたら旦那の女友達なんて敵だよ敵。准と友達でいるための彼女のポジションでも別にいいと思うけどなー」
「そう、かな」
都合が良いのか間が悪いのか、インターフォンが鳴る。
コンビニの袋を大量に抱えた二人をモニター越しにゆきと覗き込む。
准はふざけてイカの一夜干しと日本酒をモニターいっぱいに映す。
「遅い!パスタ冷めちゃったじゃない!」
苛立ちが収まらないゆきに、画面越しの准は叱られた犬のようにうなだれた。
いい気味だ。
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