インセカンズ
帰り道、緋衣は一人で電車に乗っていた。

見慣れた夜の景色が車窓を通り過ぎていく。

「まもなく、――駅です」

車内アナウンスが流れてきて、ふと安信の最寄り駅だと気付く。

停車した電車の扉が開き、入口付近に立っている緋衣は自然とホームに目を遣る。

人混みのなかから、まるでそこだけスポットライトに映し出されたように、階段に向かう安信を見つけた。どうやら違う車両に乗っていたようだ。緋衣は飲み会の為ほぼ定時で上がってきたが、その時は安信はまだ外出中だった為、残業でもしてきたのだろう。

だめだな……。緋衣は心のなかで呟く。これまでは、こうして彼の姿を探したことなどなかったのに、一度知ってしまうと、どうしても見つけようとしてしまう。

今夜と同じように、同じ電車に乗っていた安信が階段を下りていく姿を見つけたのは、先週の木曜日の事だった。

気付けば、後を追うように電車を下りていた。

その後ろ姿を追おうとして、ふと足が止まった。


‘まるで、恋でもしているみたい’


そんな言葉が、季節外れの雪のように緋衣の心に降ってきて、それからは一歩も足は前へと進まなくなってしまった。

追いかけない。この関係は一時的なものなのだから自分から深みに嵌ることはない。緋衣は自分を諭す。

安信が見えなくなる前に扉は閉まり、緋衣は自分の爪先へと視線を落とす。

亮祐、お願い。まだ私の事を恋人だと思ってくれているのなら、嘘でもいいから引き留めてよ。緋衣は唇をきつく噛み締める。

ゆっくりと動き出した電車に顔を上げれば、そこにはもう安信の姿はなくなっていた。
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