躊躇いと戸惑いの中で


「ただいまー」

お弁当袋を掲げてPOPフロアの中に踏み込むと、相変わらず黙々と作業に集中している乾君が居た。

「はい。お弁当」
「ありがとうございます」

「あ、お茶でも淹れようか」
「そんな、いいです。これ以上、気を遣わないで下さい」

「気なんか遣ってないよ。私も飲みたいから」

食べてて。と言い置いて給湯室に行き緑茶を淹れる。

そうだ。
河野にドリンク剤をもって行ってあげよう。

買い置きしてある栄養ドリンクを冷蔵庫の中から取り出し、緑茶を持って先にPOPフロアへと戻る。

「はい。どうぞ。あと、これも」

河野の分と一緒に、乾君にも栄養ドリンクの差し入れだ。

「ありがとうございます」

お弁当を食べ始めていた乾君が、ドリンクを嬉しそうに受け取った。

「体、きついでしょ」
「ええ、まあ。けど、店舗の時は早番遅番の連勤もあったので、今の方がまだ体力的には楽です」

「それでも、あんまり無理しないように。といっても、その作業が終わらないと、今日は帰れないのよね」
「そうですね。あ、でもさっき。梶原さんから電話があって、もう少ししたらまた本社に戻るって言ってましたから。きっと二人でやったら早いと思います」

乾君は、お弁当をかき込むようにしながら、もう一本置かれたままになっている、河野へのドリンク剤に目をとめた。

「碓氷さんも、まだ残ってくんですか?」
「え? ああ、これ。違うの、これは河野にね。さっき戻ってきたみたいで、まだ倉庫で作業しているみたいだったから」

「そうなんですか……。やっぱり、二人は仲がいいんですね」
「仲がいいって言うか。まー、腐れ縁みたいな、ね」

「僕からしたら、二人は凄く親密に見えます」
「しっ、親密?!」

私と河野が親密だなんて、思わず驚いて笑いがこみ上げてきそうになる。
からかわれて笑われて、いい酒の肴にされてばかりの私が、どうやったら河野と親密になるのか。

「乾君の誤解よ。ありえない」

クスクスと笑い声を上げて否定すると、乾君も笑った。

「そうやって笑い飛ばしてくれると、安心します」
「え?」

意味が解らずきょとんとしているところへ、梶原君が戻ってきた。

「あ、碓氷さん。居たんですか」

大きな紙袋を抱えて戻ってきた梶原君は、疲れもあるせいか、いつもよりも更に爬虫類のような目がすわっていて恐い。
余り長いこと見ていたら、その目にやられて石にでもなってしまいそうだ。

POPに直接関係のない人間がフロアにいることを嫌う梶原君だから、長居は無用。

「はい。居ましたが、もう帰りますっ」

なるべくハキハキと応えて、笑顔を浮かべておく。
もう直ぐ居なくなる人間に媚を売っても仕方ないのだけれど、どうもこの人だけは苦手なんだよね。


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