脳電波の愛され人
「おうおう、なかなかにやられてしもうたのう。これじゃあんたの記憶を奪ったんも、意味を全く見せなかったというわけか。
……いや、まだつぼみは残っとるそうじゃ。まだ希望はあるわい。」
少し低めの男性の声だった。いや、抑揚があったので、あまり低いとは感じなかったが。
僕は声の主を探した。しかし、僕には見つけられなかった。僕は首を傾けて、わかりませんというアピールをした。
「上じゃ、上!どこを見とるんじゃあんたは!
……しかしまぁ、強化ガラスでできた階段も見つけられんとは、頭がどうかしとるんちゃうか。……あっ、今の言葉取り消しといてくれんか。おんなの方にそんなこと言うたら、姉御に殺されてまう。」

上を見ると、青い着物を着た茶色い髪の男の人がいた。目の色も茶色で、あまりパッとしない雰囲気だった。……この人ともどこかで会っているのだろうか。どこかで見た気がする。
パッとしない人は透明の階段を降りてくると、僕の前で立ち止まった。身長は思っていたより高く、僕より十五センチメートルほど高かった。
色々とさっきの言葉について質問があったが、その前にひとつ必ず訂正してほしいことがあったので、そちらを優先した。
「……僕は男です。」
パッとしない人はとても驚いた顔をした。そして、僕の体をペタペタと触った。……僕の記憶を奪ったくせに、僕の性別も知らなかったのか。
「なんということじゃ!レムナーは代々女と決まっておると聞いていたのに!その噂はガセだったのか!
……それとも姉御が嘘をついたのか?そっちのほうが重大じゃ!レムナーが男だったことよりも重大じゃぁ!
……しかし、確かに胸は平らじゃし、声もちゃんとした男の声をしておるのぅ……。ガセか嘘をつかれたかのどちらかじゃな。」
パッとしない人は僕を無視して、勝手に騒いだり落ち込んだりしていた。何かある人に似ている気がしたが、思い出せない。
パッとしない人は落ち込んでいたところからたちなおると、今まで無視していた僕に気づいたのか、寄ってきて僕の肩に手をおいた。そしてパッとしない人は、色々なストレスのせいでたまっていたため息を一気にはきだした。
「はぁ。そうかそうか。俺が中学生くらいの年のおんなの方が好きだと知っていて、わざとやる気を出させるために嘘をついたのか。さすが姉御!……と言いたいのじゃが、ショックが大きすぎるぞ。
それにしても、その長い髪……もしかして、あんたオカマか!」
手品師が種あかししたときの客の表情で言われて、僕はとてもショックをうけた。これは憧れでやっていたから、オカマというのは正直きつかった。
パッとしない人はそうかそうかと納得したようにうなずいていた。……オカマで何をどういう風に納得したのかがさっぱりわからないけど。

僕は黒い髪を触った。僕の長い黒髪は、相変わらず真っ黒でストレートだった。しかし、やっぱりおにーちゃんには10センチメートルほど届かない長さだった。
髪が長いから、女と間違われてしまうのだろうか。それならいっそのこと切ってしまおうか。どうせおにーちゃんに届かないまま死んでしまったのだし……。
しかし、ここでおにーちゃんみたいになるという夢を諦めてしまうのはどうかと思う。
しかし、ここは腹をくくろう。
「あの、ハサミもってる?」
僕はパッとしない人に訊いてみた。できることなら今すぐにでも髪を切りたい。いや、まさかちょうどよく持っているとは思わないが。
パッとしない人は首を傾けた。
「ハサミ?持っているが、何に使うのじゃ?……まさか自殺など考えておらんじゃろうな!」
まさか。というか死んだあとにまた死ぬなんてまっぴらごめんだ。というか、偶然ハサミを持っていたことにびっくりした。
パッとしない人はキッと睨み付けた。僕は怯んで目をそらした。
「違う。髪を切るだけ。」
僕はあまり感情を込めずに正直に言った。まぁどんな答えをしたとしても、むこうが勝手に違う風に解釈するだろうがな。
「そうか。よかった。……なんなら俺があんたの髪を切ってやろうか?」
パッとしない人のニコニコした顔がとてもまぶしかった。この反応を見る限り、髪の毛は切ったことないが、髪の毛を切ることに興味があるという風だった。
そんな人に切られたら、髪が悲惨なことになるだろう。僕は髪が悲惨なことになりたいとは思わない。……まぁ、みんなそうなのだろうが。
僕はできるだけ丁寧に断った。しゃべり方は変えなかったけど、気持ちをたくさんこめた。これだけこめれば伝わるだろう。
パッとしない人はしょぼーんとした。そして、顔はそのままで無言のままハサミを渡してくれた。
……今ここでなんだが、僕はパッとしない人のある特徴を見つけた。髪のはねている毛のひとつがとても長いのだ。のばせば肩くらいまであるだろう。そして、これは錯覚だと思いたかったから避けていたことなのだけれども、そのはね毛がまるで生き物のように動いていた。
それはさておき、僕は左手で髪を持つと、右手のハサミで髪を挟んだ。そして少しずつ圧力をかけていった。ジャリジャリと音をだして髪の毛は僕の体から離れおちた。パサッと何かが地面に落ちた感じがした。恐らく僕の髪だろう。
僕はハサミを開くと、もう一度同じ場所でハサミを動かした。ジャキンと音がなり、髪の毛がしたに落ちた。しかし、僕はこのことがおかしいことに気がついた。
僕はおそるおそる切った部分のところを触った。細く、長い糸の束みたいな感覚が、皮膚から脳へと伝わった。それは手の届かないところまで長く、でこぼこした感覚もあまりなかった。
僕は地面を見た。どこを探しても黒い物体はなく、あるのは花のつぼみと、先程拾った宝石だけだった。
そう、切られたはずの髪の毛は再生し、しかも、切ったはずの髪の毛の破片が跡形もなくなくなっていたのだ。

僕は驚いて何度も髪の毛を切った。しかし、それは見事に再生された。落ちた髪の毛はまるで燃やしたみたいに右端からなくなり、そのぶん髪の毛の切り口からはえてくるのだ。
「おう、髪の毛だけはやっぱり戻る時間が遅いようじゃのう。」
パッとしない人はにっこり笑った。
「どういうこと?」
僕はつい強めに聞き返してしまった。しかし、パッとしない人は表情のひとつもかえなかった。どうやら強めに聞こえなかったらしい。
「『どういうこと』って、そういうことじゃ。髪の毛だけ再生時間が遅いということじゃ。……まさかまだ思い出せんのか!?」
「何を?」
「……よし、俺の名前を当ててみよ。あんたにはもう教えておる。」
僕は教えてもらった記憶がないので、なんと答えればいいのかわからなかった。しかし、しばらく考えているふりをすると、少しかするものが頭を横切った。
僕はその横切った記憶を追跡した。しばらく集中するために、目をつぶった。
あと少しでつかめそうなところで、僕は違う方向に行ってしまった。僕は目を開いた。僕は気をとりなおしてもう一度目をとじ、最初から考えた。次は簡単に捕まえられた。
今までの記憶にずるずるとその前の記憶が放り込まれた。火事のことや、車椅子少女のことも、全て思い出した。
そうなると、逆になぜ思い出せなかったのか不思議になった。思い出すきっかけとなることもたくさんあったのに。
落ち込んでいる僕をみて、パッとしない人が笑った。嘲笑うのではなく、どうやら僕が思い出せたことに気がついたようだ。
「おう、思い出せたそうじゃな!何か表情がさっきと違う気がするぞ!変わってないけどな!……で、俺の名前はなんじゃと思う?」
僕は考えた。しかしどうしても思い出せない。僕は適当に思いついた名前を言った。
「……ちぐさ?」
「違うわい!そりゃ千草の名前じゃい!……そりゃそうか。」
そう言って僕を叩こうとした。
僕は反射的に目を瞑った。人間なら誰だってそうしてしまうだろう。脳が指示を出すのではなく、脊髄が指示を出すのだから、意思でとめることはできないのだ。
しかし、僕を叩くためにふりおろされた手は、僕の頭の寸前のところで止められた。髪が風圧でフワッと舞い上がり、ゆっくりと元の位置へと戻った。
「っとぉー!危ない!……ふぅ、セーフセーフ!もう少しで腕一本なくすところじゃった!」
パッとしない人は、叩こうとしていた右手を急いで引っ込めると、火傷をしたときのように手を上下に振った。
「なんで腕一本なくすの?」
僕は訊いてみた。僕の体は誰かに触れるとその人に危害を与える……とか厨二病染みたことを考えてみたりする。
「あんた、覚えておらんのか?……いや、違うな。俺が教えておらんだけじゃな。
あんた、車椅子の方に眠らされたじゃろう?」
「うん。」
「その眠らされる人に後遺症が現れることがあるのじゃ。しかも死ぬまでその後遺症は続く。……で、お前はその後遺症のひとつにかかったわけじゃ。」
「……ひとつ?」
「……なんじゃ?他の後遺症についても興味があるのか?それはいいことじゃ!では教えてやろう!
後遺症は全部で五つある。
ひとつめが記憶喪失。ちなみにあんたの記憶喪失は俺がかけたもんやからこれとは違うぞ。
ふたつめは体の一部の消失。これは脳とか心臓とかくらったら……」
そのとき、僕は頭にピンときた。いや、話の途中でピンときたというのは話を聞いていない証拠なのだが。
「……よしと?」
僕は急に口を出した。パッとしない人は怒るかと思いきや、目をキラキラ光らせてとても喜んだ。
「そうそう!義人じゃ!よく思い出してくれたなぁ!」
義人はとても嬉しそうにニカッと笑った。とても表情の変化が激しい人らしい。
この人と関わる限り、僕は義人という名前を聞くたびに考え込んで、やっとのことであまり印象のない人を思い浮かべるのだろうか。……いや、まぁそれは確実にないだろう。
義人の印象は強い。だから思い浮かべやすいだろう。しかし、思い浮かべるのは性格やしゃべり方だけで、見た目はあの生き物みたいな長い毛と青い着物以外、モザイクがかっているのだろう。

「そういえば、あんたの名前はなんじゃ?」
「……。」
僕は答えられなかった。ずっと頭で考えていたことが読まれたのかと思うくらい的確だった。僕は、そう、自分の名前を忘れてしまったのだ。
なぜだろう。あの薄汚い部屋のときから忘れたというのはわかるのに……。
「名前がないのか?よっぽど身分の低いやつなんじゃな。それともあれか?罪人か?」
罪人だと名前がないというのはどういうことかわからなかった。それに、身分の低い人は名前をつけられないというのは初耳だった。ここは日本ではないのだろうか。日本には、そんな制度なかったはずだ。
「あの、ここは日本ですか?」
僕は訊いてみた。もしここが日本だったら馬鹿みたいだけど、聞いた方が自分の為になるだろう。ほら、百聞は一見にしかずっていうし。……あぁ、ちがった。訊くは一時の恥、訊かぬは一生の恥だった。
「何いっておるか。ここは日本じゃ!」
……やっぱり日本でした。日本以外というのは考えすぎだったのか。
義人はしばらくなぜ僕がこんなことを訊くのか考えていた。そして思いついたように、手をポンッと叩いた。
「あぁ!もしかしてあんた、放火の罰で時流しされてこの時代に来たものか!そうか!通りで黒髪な訳じゃ!黒い色素が髪につくなんてあり得ないじゃからなぁ!」
放火をしたらどうやら「ときながし」というのをされるらしい。そして、どうやら僕はその「ときながし」というのをされたらしい。
「僕以外にも『ときながし』をされた人がいるの?」
僕は気になって訊ねた。気になった理由は特になく、なんとなくだ。
義人はニカッと笑った。よく笑う人だなぁ。
「おう!俺の知る限りでは一人おるぞ!その方も黒髪じゃ!目はあんたと同じように茶色いがなぁ!」
「その人も名前がないの?」
「おう。流されてきた直後は『名前を忘れた。』と言っておった。しかし、心優しい千草がなんと!名前をつけてくれたのじゃ!
ちなみに千草というのは俺の姉じゃ!」
僕は聞いてみてよかったと思った。
僕以外に同じ立場にいる人がいるとしると、なぜか安心する。
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