Sに堕ちる



「……迅?」


なんでこんな所にいるの?


トイレの扉を開けると、カウンターに居た筈の迅が何故か壁に凭れながら煙草を吹かしていた。


私に気が付いたかと思うと、咥えていた煙草を手に持ち替え、ジッと私を見据えてくる。

その揺らぎない漆黒の瞳に足が自然とその場に止まったけど、


「トイレの前で待ってるなんてデリカシー無さすぎだよ」


すぐにまた歩みを進めた。


平静を装いながら迅の横を通り過ぎようとした、その時。


──トン。


迅の長い腕が私の行く手を阻んだ。



「じ、ん……?」


目の前にあるのは迅の逞しい左腕。


腕まくりされたその腕は近くで見ると彫刻のように綺麗で。

私は、念願の壁ドンをされているということに気付かないぐらいその腕に魅入ってしまった。


そんな私を無視して徐々に迫ってくる迅の顔。


「……ちょ、」


背中にはひんやりとした黒い壁があり、これ以上は下がれない。

何が何だか分からないけれど、今顔を上げたら駄目だということは本能で感じ取っていた。


されるがままの私は、例えるなら狼に食べられそうになっている赤ずきんちゃんだ。
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