きみと駆けるアイディールワールド―赤呪の章、セーブポイントから―

■おはよう、初めまして。

 バリアフリーに改造された中古マンションの一室で、朝綺は一人暮らしをしてる。
 部屋じゅう、あちこちに手すりが付いている。家具がすべて壁や床に固定されてるのは、家具も手すりの役割を果たすからだ。朝綺の体が今より自由だったころは、手近なものにつかまって動き回ってたらしい。
 あたしとおにいちゃんが朝綺の部屋に行ったとき、朝綺はまだ眠っていた。
「寝顔、見てみる?」
 おにいちゃんがいたずらっぽく訊いてきた。あたしはうなずいた。
「ラフ……」
 一目でわかった。朝綺はラフにそっくりだ。違う。ラフはやっぱり、朝綺の姿を3Dスキャンして作られたキャラだったんだ。
 閉ざされたまぶた。男のくせに長いまつげ。人工呼吸器の半透明のマスクに覆われた、鼻と口の形。ちょっとシャープで、ほとんど完璧な、フェイスライン。
 でも、ラフのほうがずっと日に灼けてた。朝綺は、透きとおってしまいそうに色が白い。朝綺の髪は、ラフみたいな伸ばしっぱなしじゃなくて、つい昨日切ったばっかりだから、きちんと整えられてる。
 目覚まし時計が鳴った。おにいちゃんが声をかけた。
「おーい、朝綺ー。そろそろ起きろー」
 朝綺は少しの間、目を閉じたまま、顔をしかめてた。起きたくないって、無言の抵抗。子どもっぽい。
 目覚ましが鳴り続ける。朝綺の枕元だ。でも、腕の上がらない朝綺には遠すぎる場所。
「ほら、起きろってば」
 おにいちゃんに繰り返し言われて、朝綺がかすかに声をあげた。
「……起きてる……」
 ラフの声だ。
 朝綺は、起きたとか言いながら、まだ目を閉じてる。朝綺の手がグリーンのシーツの上を動いた。ベッドに固定されたリモコンのタッチパネルを操作する。
 ベッドの背もたれごと、ゆっくりと、朝綺が起き上がる。おにいちゃんが目覚まし時計を黙らせた。
 朝綺はまつげを震わせながら目を開いた。キラキラと、漆黒のまなざし。なつかしくなるような、あの顔立ち。
 あたしは、ポシェットの肩ひもをギュッとつかんだ。朝綺がおにいちゃんを見て、それから、あたしを見た。目が大きく開かれる。
 おにいちゃんが人工呼吸器のマスクを外した。
 朝綺は微笑んだ。照れ笑いみたいな、生きた表情。白い歯がこぼれた。
「おはよう。初めまして」
 ラフと同じ声で、朝綺は言った。
「は、初め……まして……」
 朝綺に会ったら、笑おうと考えてた。でも、あたしのほっぺたはうまく動かなかった。あたしは不機嫌な顔で、朝綺と向き合ってる。
「お姫さまって、シャリンそのままなんだな。顔も表情も声も」
 朝綺は嬉しそうだった。
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