裏腹王子は目覚めのキスを
 

腕時計に視線を落とすと午後七時を回っている。

心身ともに健康な独身男性が、土曜日のこんな時間に在宅しているはずがない、と一縷の望みを託して、インターホンに指を伸ばした。
 
都会でも田舎でも、インターホンの呼び出し音は変わらない。ピンポーンという締まりのない音色に続いて、玄関の鍵を開ける音が聞こえる。

わたしの願いもむなしく、王子様は扉の向こうから姿を現してしまった。
 
春らしい淡いピンク色のシャツにケーブル編みのスタンドカラーニットをあわせた彼は、もうすぐ三十歳を迎えるとは思えないほど肌艶がよく、全身から“できる男オーラ”を惜しみなく放出している。
 
彼はきょとんとした顔でわたしを見てから、不意に相好を崩した。


「どちら様?」
 

白い歯を輝かせ、これまで数えきれないほどの女の子を籠絡してきたであろう極上の笑みを浮かべる。
 
やっぱりというか、当然というか、彼はわたしのことを覚えていなかった。
 
安堵とも寂しさともつかないため息をこっそりついていると、


「あれ、どこかでお会いしましたっけ?」
 

王子様は長い指を顎に当て、考え込むように首をひねった。


「なんとなく、見覚えが」

「……久しぶり、トーゴくん」
 

やむを得ず口にすると、ただでさえ大きな目が、満月のように真ん丸になった。
 
唖然とした顔で人差し指をわたしに向け、呼吸を忘れた金魚みたいに口をぱくぱくと動かす。


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