そばにいる
「あまりオレを妬かせるな」

彼の鋭い眼孔から視線をそらせられない。

「いい加減、オレを怒(いか)らせるな」

彼が一歩
また一歩と

ゆっくり…
私に歩みよる。

そして私も彼と同じだけの歩幅を後ずさりするので その距離は縮まらない。

「フザけてんの?」

彼の その眼孔は…、狙った獲物を逃さない、ケモノ そのものだった。

この熱い眼差しから目をそむけてしまったら私の負け。

知らなかった。
彼が男だということに…。

まさか こんな状況で初めて彼から男の色気を感じるなんて…。

そして、忘れていた。

私は自ら逆境の地にいたことを…。

……狭い限られた この空間

ここは彼の部屋。

「ゆき、こっちに来い!」

またしても、じわりじわりと近付いてくる。

そんな彼から逃れようとしたが…

私の背中に冷たい感触が走る。
私は壁に立ちふさがれた。

逃げ場がない!
と思ったときだった。

彼の左手が、私の右頬を交わし…

もしやこれは…

もしもの通り、人生初の壁ドンをされた。

「もう逃げられねぇな」

キスが出来るぐらいの至近距離。

暇さえあればミントのガムをクチャクチャと音をたてながら食べてるので爽やかな彼の吐息が私の鼻にかかる。

不覚にも彼の男を感じ、ドキドキがおさまらない。

ごくり…、と固唾を飲み込む。

「いやよ!
ゆきちゃんは渡さない!」

こんな状況でも強気で切り返す。

…が圧倒的に私が不利なため

「ゆき、今日もかわいいねぇ」

「ちょっと!やめてよ」

私の胸に抱いていた白猫のゆきちゃんを奪われた。

「にゃぁ〜 にゃぁ〜」

ゆきちゃんが切なげな声を絞りだし泣きじゃくる。

そう、それはまるで私に助けを求めるかのように。

「てつくんに抱っこされて ゆきちゃんが嫌がってるじゃん」

「なんでだ!
なんで嫌がるんだ!
オレが飼い主だぞ!」

「ゆきちゃん!」

「にゃあ」

「ゆき!」

「…」

「ゆきちゃん!」

「にゃあ」

「ゆき!」

「…」

「オレはシカトかよ!
オレだって ゆきと会話がしたい!」

「私とゆきちゃんのラブラブの時間をジャマしないでよ!」

「いで!
いででででっ!」

ゆきちゃんが

やめてー

やめてー!

と言わんばかりに てつくんの胸の中で暴れだした。

たまらず てつくんは ゆきちゃんを落としてしまったが体操選手並みの美しい着地を決めた。

と 思ったら短距離走選手並みのスピードダッシュをしてタンスの後ろに隠れてしまった。

いつものことながら猫の身体能力に驚かされる。

私は左側

彼は右側からタンスの後ろを除き込むが ちょうど真ん中の位置で 綿ボコりをかぶった ゆきちゃんの おっきい おしり姿をとらえるが

「ゆきちゃん、こっちにおいで!」

「ゆき、こっちだ」

名前を呼ぶたび 長いしっぽで返事をするがそこから微動だにしようとしない。

「あいつ、すました顔してら」

てつくんが眉間にしわを寄せ、困惑した趣だった。

「ゆきはしばらく出てきそうもないから、さっきの続きするぞ」

「えー!」

元から興味のない私は早く この時間から解放されたかった。

「早くしろ!」

「…わかった」

渋々、彼に従う。

致し方無い。
てつくんには借りがある。

「てつくん、そのゲーム依存、克服しないと また同じことの繰り返しだよ」

「依存じゃない、オレの生きがいだし 好きなもの!
ゲーム好きなオレも含めて好きになってくれないと意味がない」

「自分に相手を合わせてもらうんじゃなくて、相手に自分を合わせてもらう努力もしないと」

私の一言が勘に触ったらしく 隣のてつくんが睨み付ける。

久しぶりに入った彼の部屋は相も変わらず ゲームで埋め尽くされていた。

でも、何も変わらない 彼に安心する自分がいる。

「葵がオレに説教するとは…。
昔は笑顔でオレに付き合ってくれてたのに…」

今度は少年のような甘えた表情を見せる。

たぶん、これが母性本能をくすぐるってやつなのかも。

***

中学に入って てつくんがバスケに取り込む姿と、私のお気に入りのキャラをなぜか てつくんも溺愛し、そのキャラのタオルとマイボトルを持つ姿が

あざかわいい!

って先輩女子にモテてた。

その時に てつくんがイケメンであることを知った。

その頃から お互い、勉強 部活と忙しくなり、近くに住んでいながら顔を合わせることがなくなった。

そして てつくんはバスケの推薦で地元の高校には行かず、私たちの距離は広がるばかりだったが、この距離を埋めてくれたのがゆきちゃんだった。

それは半年前

憧れの超大手百貨店に就職が出来たものの、研修の毎日にと社会の厳しさを思い知り、まだ1ヶ月しか経っていないのに、くたくたの生活を送っていたときだった。

早く我が家に帰り一分一秒でも良いのでベッドに横になりたい

と家路に急ぐ私の足が止まった。

どこからか 微かに聞こえてくる子猫の鳴き声。

そのときだけ 疲れを忘れ、河川敷のあぜ道の草花をかき分け、まだ真新しいスーツが汚れるのも気にせず 一心不乱に声の主を探した。

「…いた」

元気なく鳴く 小さな小さな命。

「一緒に帰ろ」

その子を優しく抱きしめ自宅に戻った。

もうすぐ自宅まで50mってとこで 大切なことを思い出した。

そうだった、弟は喘息が…。

しばらく喘息の発作が治まり 体育の授業も出来るようになってたので忘れてた。

でも この子を置き去りに出来ない!

と途方にくれてたら…

「やっぱり、ここか」

その声の主に驚き、うつ向いてた視線を上げると…

「おばさん、心配してたぞ」

てつくんだった。

もう何年も会ってないので懐かしさ、そして私を探しに来てくれた嬉しさが込み上げてきた。

「なんで…」

「食べることが大好きな葵がいつもの夕食の時間になっても帰って来ない!
どこかで力尽きて倒れてないかっ!
ってマジで心配してた」

もう お母さんったら!
そんな理由で心配だなんて!
ただ、TELしてくれたら解決するじゃん!

「今までと違って、同じように食ってると ぶくぶく太るぞ」

「もう太ってるから手遅れだもん」

「それで一度 成功したブランコダイエットに再びチャレンジしてるわけだ」

「えっ!なんで それ知ってるの?」

「部活終わりの帰宅途中に ここを通ると、辺りは暗くなっても真剣な顔でブランコをこいでる子供がいる!
って よーく見たら葵だったから…」

その当時を思い出してるのか 吹き出しながら話す。

高2のとき すっごい好きな人がいて ぽっちゃり体型から卒業したくて、いろんなダイエットにチャレンジして…

努力が実を結び、理想体重になれたら…

…っな

なななな

なんと、想い人から告白があったんだ!

ってゆーか あの姿を見られてたなんて〜

しかも、それ 1回だけじゃなく何度もだよね…。

顔が熱くなるが もう夜と変わらない暗さなのが幸いかも。

「それ…」

と てつくんが暗闇の中でも私の膝に うずくまる白い物体に気付いた。

「さっき拾ったの」

「…ふ〜ん」

「うちの弟、喘息持ちだし…」

「そんな理由だったのか!」

私の湿った声質とは違って明るい返事だった。

「うちで飼ってやる」

その一言で どれだけ私の心は救われたんだろ。

てつくんは私の膝にうずくまる白い子猫を優しく拾い上げたと思ったら自分の胸に抱きかかえ

「雪ん子みたいに かわいいな。
葵も そお思わねぇ?」

「雪ん子ぉ?
みたいな、って言われても私、雪ん子に会ったことがないから わかんない」

鼻で笑いながら

「オレも会ったことねぇよ。
河童にも天狗にも仙人にも会ったことない」

その てつくんの一言で白猫は ゆきに決まった。

それから半年

楽しみなどなく苦痛でしかなかった仕事も

だんだん仕事の仕方を覚え やりがいも日々 感じるようになった。

そして何より仕事を頑張ったご褒美に毎月25日に お給料を頂き、
お給料を手にするたび 仕事をさせて頂ける喜びを感じる。

その手にした お給料で毎月 必ず購入する物…

それは ゆきちゃんの ごはんと おもちゃ!

購入した品を持って てつくん家に お伺いするのがお決まりになったが今日は…

「葵、母さんがクローゼットを整理してたら昔 着てたブランドの服やバッグが出てきて、捨てるは おしいから もらってくれないかってさ」

「バッグは欲しいけどスタイルがいい おばさんの服、着れるかな…」

「母さん、オレを産む前は ぽっちゃり体型だし大丈夫だろ」

まだまだ憧れのブランド品を購入出来るほどの お給料は頂けないので私の眼は満天の星空のごとく輝く。

「母さん、そろそろパートから戻る頃だし 上がりな」

「おじゃまします」

「どうぞ。

そうだ!
何もないから ゲームでもする?」

「うん」

……うかつだった。

てつくんがゲーマーだと 忘れてたー!

ゲームに興味のない私は物の10分であきれる。

「ねぇ、私 弱いし そんな私と対戦しても面白くないでしょ?」

「いいや、楽しい!
オレって超ウマイじゃん!
って優越感にひたれる」

すっごい目をキラキラ輝かせてるけど、たぶん これが 彼女を取っ替え引っ替えしてた原因なのかも…。

てつくんからバスケとイケメンを取ったら何もない。

「ふあ〜」

あきれる私に ゆきちゃんが救いの手を差し出して

一緒に遊ぼうよー!

と私の膝の上に乗り 甘えてきた。

ゲームのことなど すっかり忘れ、ゆきちゃんの魅力に めろめろになってたら…

どうやら てつくんがゆきちゃんを独占する私に やきもちを妬いてきた。

この様子を見るとゲーム依存は以前よりは改善されたみたい。

でも新たに ゆきちゃん依存が出てきた。

かく言う私も ゆきちゃん依存だけど…。

それが、壁ドンまで行き着いたいきさつである。

また睡魔との戦いが始まる…

「やあ…、ちょっと…!」

「こーすれば葵も逃げられないし、ゆきにもジャマされない」

ひえ〜

きゃー!

壁ドンどころか人生初の膝枕までしてしまった〜。

これでは睡魔が襲ってこない。

「確かに 寝心地が良い」

「どーせ、私は むちむちしてますよ」

「いや、むちむちじゃなく むちゅむちゅだな」

「その違いは何!」

「とにかく、オレはガリガリよりも ぽっちゃりが好きだけど」

今までアイドルみたいに 細かわいい子やモデル並みにスタイルいい子と付き合ってきた人からの説明じゃ納得力ないし。

「男の人は気をつかって、そう慰めてはくれるけど結局 ガリガリが好きなんだもん」

「…それ、オレに妬かせたいの?」

「えっ?」

「今も続いてんの?」

「何が?」

「高校のとき、よく ある男が葵ん家に遊びに来てただろ…」

「ああ…」

憧れの仕事場は早番 遅番とあり、休日が不規則で サービス業の私は土日祝日に休暇を頂けたことは ほとんどない。

そんな生活で すれ違いになり…

「自然消滅しちゃった。
もう2ヶ月 連絡取り合ってない」

私たちの愛って そんなものだったのね。

「…そう」

「とにかく今は仕事に集中するから いいの。
仕事の出来る女になるのが今の私の目標だし!」

「勉強に夢中になる葵、
ダイエットに夢中になる葵、
恋に夢中になる葵。
どの葵も生き生きとしてたし、努力家の葵なら仕事だって こなせるようになるさ」

「…」

これって誉められてる?

こんなとき どう返せば良いのかな…。

「それにオレがいれば いいじゃん」

…っへ

今、なんて?

「どういう意味?」

「もう知らん」

…もしかして

もしかしたら

思い返せば いつだって てつくんは私の心の寂しさを埋めて来てくれた。

私の膝に横たわる てつくんの表情は読み取れないけど、耳まで赤くなってるのだけは わかる。
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