碧い人魚の海
 たき火のそばでしょんぼりと肩を丸めていたロクサムのことを思うと、ルビーの胸は痛んだ。突然この屋敷にルビーが売られてきてしまったことを知ったら、きっとロクサムは心配する。心配させているだろうことがどうしようもなく苦しかったし、いたたまれない。できるなら屋敷を飛び出して、自分は無事だと告げに行きたかった。
 けれどもロクサムに触れたり手をつないだりすることで、いまの苛立ちに解決がつくとも、苦しい気持ちが解消されるとも、ルビーには思えなかった。

「あら」
 そのままうつむいてしまったルビーに、柔らかく貴婦人は笑いかけた。
「わたくしはあなたが好きよ、人魚」
「お、奥さまは、ブランコ乗りのことが好きなんじゃないんですか?」

「わたくしは、美しいものは何でも好き。だって美しいものはとても、目を楽しませてくれるのですもの。庭に咲いているバラの花も。朝露に輝く野の草も。夜明けの空も、綺麗な湖も、よく走る馬も。それに、有能な人も好き。たとえば今のカルナーナ首相のカルロみたいに」

「カルロ首相……ですか?」
「ええ。彼は、3年前に締結されたアララーク連邦との停戦条約を、結果的にカルナーナに有利に運んだわ。その実績だけでも、彼の手腕は確かなものだとわたくしは思ってる。あれだけ武力の差が歴然としていたにもかかわらずよ」

 3年前のことなどルビーは知らなかったから、武力の差が歴然としていたといわれても何のことだかわからない。
 ただ、ナイフ投げの話を聞いていたときも感じていたことだったけれども、カルナーナの首相というのは国民から結構好かれているような印象だ。
 ルビーの第一印象は、ただ怖い人、というものでしかなかったのだけれども。
「とはいえ、彼は少なくとも見た目は失格だわね」

 太り過ぎてしまったという首相の外見についての所見をつらつらと述べながら、貴婦人は屈みこんで、倒れた椅子をもう一度もとの位置に戻した。
「おかけなさいな、人魚。もう少しだけ、お話ししましょうね。嫌がる相手に無理強いするのはわたくしの方も楽しくないですから、そんなに心配しないで」
 ルビーがもう一度椅子に腰を下ろすと、貴婦人も自分の席に戻った。
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