碧い人魚の海
 アートはきょう、彼女と過ごす時間を、ジゼルの屋敷への訪問を、これから起こるはずの事件に対しての、彼自身のアリバイのために利用しようとしているのだから。
 もし、そのことを後日彼女が知ったら、この人はそれをどう思うのだろう。
 もしも、後日そのことで咎め立てされたら、厚かましく、ずうずうしく、ひたすら許しを乞おう。
 アートはそう考えたが、彼女は自分が利用されたことを知っても、彼を咎めたりしないような気がした。

 優雅な仕草で小首をかしげながら、ジゼルは彼に聞き返した。
「返答に困るような言い方?」
「人魚が言うには、そのときの会話の中で、ぼくは人魚に頼みこんでいたらしいです。どうかあなたを悲しませるようなことはしないでくれって」
「そうだったの?」
「そんな自覚はなかった。でも、人魚にはそう聞こえていたみたいです」

「何の話をしていたの?」
「アララークのあらゆる国に偏在する貴族のことや、あなたの血筋のこと、あなたがその血統を厭わしく思われていることなどを」
「それはあなたの言うとおりだわ、アーティ。わたくしは、自分の中の貴族の血統が厭わしい。でも、それが事実かどうかということより、あの子の──人魚の前で、あなたがわたくしのことばかり話したことの方が問題だったのではなくて? 女の子を目の前にして、別の女性の話ばかりしていたら、だれだってその別の人の方に関心があるのだろうと思うわ」
「ぼくたちは二人で、あなたのことを話題にしていたのですよ。人魚はあなたのことを知りたがっていたんです」

「人魚がわたくしを悲しませるって、どういうこと?」
「あなたは人魚に言ったそうですね。人魚を手中に収めることで、あなたはぼくを従わせて意のままにできるんじゃないかと」
「言ったわ」
 どこか挑発するような強いまなざしで彼を見返しながら、ジゼルは口元に笑みを浮かべる。
 アートは穏やかな口調で返した。
「人魚がいようといまいと、いつでもぼくはあなたの僕(しもべ)ですよ」
「嘘ばっかり」

「ぼくは人魚にこういう意味のことを言ったらしいです。自分を曲げて、あなたの言いなりになることは、あなたを悲しませることだから、そうはならないでほしいと」
 彼女は黙っていた。
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