碧い人魚の海
 でも、ボートがもうすぐそばまで迫ってきている。ボートには銛を構えた若者。

逃げて。アシュレイ。
あんた、人間に見つかってるのよ。気づいてないの?
あたしの声が聞こえないのアシュレイ。

 もう少し近づかないと、心話が届かない。もう少し、あと少し。

 ルビーは隣の男をちらりと見る。隙があるのかないのかよくわからない。今から始まる大とりものに気を取られているようにも見える。ぐずぐずしていられない。

 ルビーは渾身の力を込めて、つかんだ男の腕を振り払った。よかった。離れた。甲板の縁に駆け上がり、チュニックを脱ぎ捨て踊るように海に飛び込む。途中で靴が脱げ、バラバラに海に落ちていく。
 あっけにとられた太った男の姿が、ルビーのエメラルドの瞳にさかさまに写る。

 白い泡を立ててルビーは一度海に沈み、浮き上がる。ふくよかな潮の香りがルビーの全身を包む。

アシュレイ、アシュレイ、アシュレイ!!!

 みるみる元の姿を取り戻したルビーは、その赤い尻尾を使ってカジキマグロに向けて必死で泳いだ。
 アシュレイの尾びれが揺れた。ルビーを見つけた証拠。

馬鹿アシュレイ。もぐりなさい。深く、深く。最速で。
逃げるの。馬鹿。あたしのことはいいから。早く。

 アシュレイは不服そうにちらりとルビーを見たけれども、素直にすぐに言うことを聞いてくれた。
 驚異的なスピードでぎゅんぎゅん海に潜っていく。

 銛を構えた若者が、今まさに打ち込もうとしていた手を止め、振り返ってこちらを見た。

 空気を切り裂いて、銛がこちらに飛んできた。

 カジキマグロをしとめる銛は特大で、あんなものが命中したら人魚はひとたまりもない。若者はわざと急所を少し外したみたいだった。銛の先がルビーの紅い尻尾の中ほどをザクリと切り裂いて、ボートの上に戻っていく。
 痛みでと痺れでルビーは気が遠くなった。人魚の透き通る青い血が海の中に広がって流れた。海面越しの太陽が、血の色で青く染まって見える。

 とぷん、と音がして、人間が飛び込んできた。髪の毛をつかまれボートに引きずり上げられたルビーの意識は、急速に薄れていった。
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