碧い人魚の海
「ルビー。おいらあんたのことルビーって呼んでいいかい?」
「駄目」
 声の調子がするどくならないように気をつけながら、ルビーは首を振った。
「あなた以外の人に、本当の名前を知られたくないの」
「だれもいないところでも呼んでは駄目かい?」
「だれもいないところでも、名前を口にしては駄目。心の中でだけ呼んで。声に出しては今まで通り人魚って呼んで。さん、は要らないわ。人魚でいい」
「おいらはルビーに名前で呼んでほしいな」
「いいわよ。でもロクサムはあたしの言ったことを守れてない」
 ロクサムは慌てて言い直した。
「おいらは人魚に、名前で呼んでほしい」
 にっこり笑ってルビーはうなずいた。

 ルビーはふと、人間に名前を教えては駄目だといった少女の言葉を思い出した。あの子がなぜそんなことを言ったのかが、今のルビーには理解できた。あの女の子は、閣下と呼ばれるあの男に、かつて名前を教えたのだ。
 あたしたちには、人間に自分の名前を教えたくなる瞬間がある。ルビーはそれをはっきりと意識した。
 でも、目の前のこぶ男がルビーの名前を知ったからといって、何か起こるとも思えない。ロクサムはアルベルトのような野心家には見えなかったし、ルビーの力を利用して何かを企てることは考えにくい。第一ルビーの力などあの女の子と違ってたかが知れている。
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