碧い人魚の海
 ガラス張りの特注品の水槽に水を張るのには大量の水を必要とする。ロクサムのほかに、怪力男や大道具係なども駆り出された。
 男たちは井戸と水槽の間を何度も往復させられ、水槽にはいつもの公演のときの倍ぐらいの量の水が入れられ、上部の縁のあたりまで溢れかえらんばかりになった。その中に、ルビーは投げ込まれ、上から蓋をされ、蓋に重しを乗せられた。
 座長からは、ヤケクソな雰囲気が漂っていた。人間の娘となってしまった人魚など、溺れ死んでしまっても別にかまわないとでも言いたげだった。

 地中からもたらされたばかりの水は、冷たくてとても澄んでいた。
 人魚はその中で手足を伸ばし、きれいなその水を深く吸い込んでみたい欲求に駆られた。
 だが、水が身体の中に流れ込んだ途端、変身が解けて元の人魚の姿になってしまう。少なくともこれまではそうだったから、ルビーは目を閉じて、静かに息を止めた。
 息を止めていても、水の冷たさがルビーには心地よかった。もとより氷山の流れる北の果ての海に棲んでいる一族なのだ。地下からやってきたきれいな水は、あの海の表面近くを流れる氷混じりの海水に比べたら、暖かいとすら感じる。
 ルビーの燃えるような赤毛が水のなかでふわりと広がり、絹のドレスのすそがゆらゆらと水に揺れた。彼女は一度閉じていた目を開け、静かなまなざしで周囲を見回した。

 騒ぎの中、ギャラリーとして集まって来た人の数は、既に一座のメンバーの半数ぐらいになっている。こちらを見つめる人々の、さまざまな表情がよく見えた。
 怒っているような顔で、水槽を睨みつけている座長。その横で、座長につかみかからんばかりに食い下がる舞姫の必死な表情。それを後ろから止めているナイフ投げは、意識してかせずか、決してこちらを見ようとはしていない。

 こぶ男がおろおろ顔で、水槽の周りをぐるぐる回るのが見えた。ルビーを助けたいのにどうすればいいのかわからないといった顔だった。自分の運んだ水の中にルビーが沈められているという事実も、こぶ男を苦悩させているようだった。

 不快そうに眉をひそめた顔。あっけにとられた顔。人ごととしてしか見ていない冷やかな視線。対照的に落ち着きのない視線。幾つもの視線の中に、期待を込めた眼差しが混じる。その表情から、一部の人々が何を期待しているのかをルビーは知った。
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