碧い人魚の海
「でも、座長は殺人として届け出はしないだろうから、実質おとがめなしじゃないかな。居合わせた人間にも口裏を合わせるように言うだろうし」

「そしたらみんな、座長に言われたように話を合わせるの?」
「役人かなんかが調べに来たら、そうするんだろうねえ。でも実際そういうことが起こったとして、いちいち調べに来るかねえ……」
 舞姫は首を傾げた。
「なんていっても見世物小屋だからねえ。危険な出し物も多いし、事故はつきものだからね。出し物の練習中に誤って溺れたってことで、適当に処理されるんじゃないかね」

「きのうみたいなことって、前にもあったの? 練習中の事故のことじゃなくて、だれかが座長に逆らって殺された、とか……」
 舞姫は、答える代わりにナイフ投げを見た。
「ハル、そういうことってあったかい? あんたは10年以上ここにいるんだろ」
 ナイフ投げはしばらく黙って考えていたが、やがて首を横に振った。
「知っているかぎりでは、なかったと思う」

「わかった、ありがと、ナイフ投げ。一つ思ったことがあるの。座長は確かにあたしが溺れ死んでもかまわないと思ってたみたいだけど、別に殺すつもりはなかったんだと思うの。多分、追い詰められたらあたしが人魚に戻るんじゃないかと思っていただけ。だからもしあたしがあのまま溺れていたら、多分水から引き上げてもらえてたと思う」

「あの調子じゃ、間に合わなくておだぶつの可能性の方が高かったと思うけどね」
 舞姫は憮然とした表情で、腕組みをした。
「畜生。やっぱ一発ぐらいケリ入れときゃよかった」

「だが実際、ここでの暮らしはそう悪くはないんだ」
 少し憂鬱そうな調子で、ナイフ投げは言った。
「贅沢はできなくとも三度のメシはつくし、飢えることもない。寝る場所もある。三日に一度は湯あみもできる。服も支給される。座員同士の交流もある程度自由で、パフォーマーの扱いは実力主義だ。買われた身分だからといって、理不尽な暴力を振るわれることもない。春と秋には巡業もあるから、ある程度の人気が示せてそれに参加できたら、町から町へと旅もできて、退屈もしない」

「まあね」
 舞姫が、同意するように頷いた。
「炭鉱なんかに連れていかれたら悲惨だって聞くもんね」
「だが、おれはここに長くい過ぎた。知らないうちに飼いならされてることに気づかず、自分を見失ってしまっていた気がする」
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