本当は怖い愛とロマンス
俺はステージ裏でたくさんの観客の歓声を聞いていた。
手の震えは相変わらず止まらない。
緊張からくるものではないと解っていた。
気を失った渚を見た時、俺は昔渚が死んだと聞かされた時の事を思い出した。
また、失うつらさを味わうと思う恐怖感と失っていく辛さに耐える事が出来なかったのだ。
俺を呼ぶ声とファンの声に俺は、震える手を必死に拳を握りしめ隠し、ステージに立った。
マイクを手に取り歌う俺をあの時ファンはどういう気持ちで見ていたのだろう。
光輝くライトは本当の俺を映し出していたのだろうか。
ステージの上で作り笑顔に答える自分と未練がましい恋の歌を力一杯声を出して歌う度に気持ちが高ぶっていき、何度も吐き気がした。
歌う事が辛いと思ったのは初めてだった。
歌う度に胸が張り裂けて、無力な自分を人前に曝け出すような錯覚に陥った。
こんな気分は音楽を続けてきて初めてだった。
歌う事は何もなかった俺にとって、唯一の居場所だと思っていたからだ。
予定していた34曲を歌え終えた後、ステージ裏にはけた俺は、アンコールの声を無視して楽屋に戻った。
倒れるようにソファに横になった。
どうにもならない気持ちへの苛立ちを抑えきれずに握った拳で何度も壁を殴る。
ノックをしてそこに入ってきたのは、渚を病院に連れて行き、関係者席で俺のライブを見ていた西岡だった。
赤く腫れ上がった俺の左手を見て西岡はため息をついた。
「ちょっといいかな?本木くん。」
俺はその言葉にさえ返事をしない。
ただ天井を見上げて、西岡の声が耳を通り抜けていく。
「どうしたの?今日のライブ君らしくないじゃない?」
西岡は俺の微妙な変化に気づいていた。
歌手として、俺が歌う事を苦しいと思ってしまった時点で終わりだとわかっていたからだ。
「アンコールいかないの?君を待ってる声がここまで聞こえてる」
「渚は?」
西岡は黙って俺の言葉に頷いた。
「病院で傷の手当てを受けて病室で眠ってる。」
ずっと震えていた俺の手を西岡が力強く握り締めた。
「心配しなくていい。本木君、彼女は大丈夫だから。だから、ライブが終わったら一緒に彼女に会いに行こう。」
そう笑顔で西岡が言ってくれた言葉に自然に俺は「ありがとう」と返事をしていた。
渚が死んだあの日も俺は、ステージに立ち歌っていた。
でも、その全てを投げ出せば、渚の冷たくなった頬に触れる事もなかったのだろうかと俺はずっと何度も自問自答を繰り返していた。
彼女の無事を聞くまで俺は、また同じ場面がフラッシュバックしていた。
俺は西岡の一言で少しだけ過去を乗り越えられた気がして救われた。
さっきとは違う晴れ晴れとした顔で俺はステージに戻る。
長時間待っていたにも関わらず、響きわたる大歓声は俺を簡単に受け入れた。
そして、マイクを握る俺は、さっきまでの蟠りや全ての不安も消え、最高の形で最初のツアーのステージを終わらせたのだ。

何もかもやり直そう。
俺は、このツアーを全て終えたら、何もかも最初から。

そう心に決めて、俺は西岡の運転する車に乗って渚のいる病院へと向かった。

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