ロジーリリー「パンドラの乙女」

流石は護衛しているだけあってか、ヴィンセントはシエラを受け止めてもびくともしなかった。

「何であんな所に居たんですか」

疑問に思った事を聞いてみる。この姫ならばただ単に気持ちが良さそうだったとか、支度が面倒だった何て事も有り得るがと、ヴィンセントはシエラが聞けば激怒するであろう事を白々しくも考えていた。

「…………子猫が…」
「子猫?」

訳が分からない、と言った感じで繰り返すヴィンセントにシエラは羞恥心からまたもや顔を赤くし、ぽかぽかと鍛えぬかれた立派な胸をか弱い力で叩いた。

「子猫の鳴き声が聞こえたからわざわざ部屋を出てみれば、にゃーにゃーって涙眼になりながら木の上で助けを求めていたのよ! これを放っておけと!?」

それを聞いたヴィンセントは「んな事で脱走したんですか」と呆れながら溜め息を吐いた。

「魔法を使えばよかったじゃないですか」
「うっ……だって、私はまだ未熟者だから誤って暴走させたら危険だし…」
「要するに練習不足なんですよ」

辛辣な事をケロリと言うヴィンセントに、シエラは憤慨しながらもそれが事実であるため否定が出来い事に、さらに憤慨してしまった。

「それよりも姫様、いい加減支度に戻って下さい。侍女達が泣いてましたよ」
「分かったわよ。でも、どうして建国記念日をわざわざ夜中にやるのかしら」

あーあ、とシエラは肩を伸ばすと、支度をしていた自室へと戻るために足を進めた。ヴィンセントはその後ろを付いていくと、ふと木登りの際に破けてしまったのか、あらわになってしまったシエラの背中に×印の火傷を見つけた。

「……? ……何でも建国時に夜の神がお恵みを下さったとかで、その神様に感謝の意を込めて夜にやるそうですよ。どうぞ」
「有難う---あぁ、あのお伽噺ね。あれ殆ど民謡とか神話感覚じゃない」

火傷の後は気になったが、しかし平気そうなためあまり深くは考えるのは止めた。一先ず肌を隠す為に自分の上着をシエラへとかけ、質問に答えた。

「あっ! シエラ様! 全く何処に行ってらっしゃったんですか!」
「ごめんなさい、ちょっと小動物の命を救出してたの」
「え?」
「何でもありませんよ、さっ姫様早く支度をなさってください」

シエラの返答に眼を丸く侍女に対し、ヴィンセントは爽やかな笑顔で無理矢理話題を変えると、ぐいっとシエラを侍女に引き渡した。

「じゃあ俺は外で待ってますよ」
「あ、待って」

ヴィンセントはそう言って外へ出ようとしたが、シエラが服の袖を引っ張ってそれを制止した。

「ヴィンセント、頭に花びらがついてるわ」

ちょっと屈んで、とシエラが言うとヴィンセントは屈み、自分よりも背丈が小さいシエラへと頭を差し出した。

「うん、よし! 取れたわ」

それを聞いてヴィンセントは立ち上がると、目の前で綺麗に微笑むシエラに有難うございますと返して、部屋からでていった。

ヴィンセントが出ていった後、侍女はシエラのびりびりに破れたドレスを脱がし、埃を被ってしまった肌と髪を湿らせた布で拭き、そこに乙女百合の香りがする香油を染み込ませた。

「シエラ様はますますお美しくなられましたね……今や国どころか他国でさえ、シエラ様の美しさに勝る娘は居ない様ですよ。全く……何時もはお転婆なのに」
「最後の本音がとても疲れて聞こえたんだけど……ごめんなさい」

シエラははにかみながら謝ったが、しかしその姿でさえ美しいのだから侍女たちははぁ、と息をもらした。

「良いですよ、もう。私たちが腕によりをかけてさらに美しくしますからね、期待していて下さい」
「有難う、それと外で待っているであろう私のワンちゃんに、そこの林檎を渡してあげて頂戴。ヴィンスの事だから、そろそろ小腹が空くと思うの」

側にある机に沢山置かれた水菓子をちらりと見ると、シエラはそう侍女に頼んだ。そこで手の空いている若い侍女が行く事となり、林檎を持ってヴィンセントへと渡しに行った。

「ヴィンセント様?」

部屋を出て辺りを見回し、ヴィンセントの名を呼ぶ。

「何か?」
「っひゃ!」

すると背後から声をかけられ、思わず短い悲鳴を上げてしまった。そんな様子に不思議そうな顔をしたヴィンセントだったが、ふわりとどうかしましたか?と、女ならば誰でも頬を赤く染める微笑を浮かべた。

「申し訳ありません、そのっシエラ様にこれを渡すようにとっ」

例に違わず侍女は顔を真っ赤にし、震える手でヴィンセントに林檎を手渡した。

「あぁ、有難うございます。丁度小腹が空いていたんですよ」

ヴィンセントは嬉々として林檎を受けとると、その真っ赤な実にがぶりと噛みついた。
その様には何とも言い表せない妖艶さが滲んでいて、若い侍女は真っ赤な顔を更に真っ赤にしてしまった。

「っシエラ様は、随分とヴィンセント様を気に入ってらっしゃいますよね」

居たたまれなくなったのか、そう話題を切り出した侍女にヴィンセントはそうですかね、と否定した。

「お側で見ていて、まるでシエラ様の世界はヴィンセント様のみと言っても過言ではない程ですよ」

侍女の言葉に、一瞬ヴィンセントは呆気に取られて沈黙してしまった。

「もっ申し訳ありません! 侍女の身でありながら出過ぎた事を申しました!」

沈黙を不機嫌が故と考えた侍女は慌てて謝罪をした。
けれどヴィンセントは体を震わせるだけで、何も言わない。しかし暫くたつと、頭を下げる侍女の上からくつくつと圧し殺した笑い声が聞こえた。

「くくくっ、いや、謝らなくて良いですよ。顔を上げて下さい」
「ヴィンセント、様……?」

突然笑いだしたヴィンセントに侍女は戸惑うが、ヴィンセントはそんな侍女にはお構いなしで笑い続ける。

「いえね、当たってはいますよ、でも違う」

笑い過ぎて、涙が浮かんできた瞳を拭うとヴィンセントは侍女に向かってとびきりの笑顔を見せた。
まるで幼子が自慢話をするかの様な表情のそれは、先程の微笑よりも美しく、艶やかであるはずなのに、侍女は何故か顔を赤くするどころか謎の恐怖心に囚われて顔を青くした。

「姫様の世界が俺のみじゃなくて----俺の世界が姫様のみなんですよ」

酷く綺麗な笑顔を浮かべるこの男が、とてつもなく怖かった。





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