手の届く距離
何気ない会話が楽しいが、広瀬さんの急接近は、恥ずかしいし、緊張しすぎて力が入ってしまう。
近づきたい気持ちとは思うが、お互いのことをもっと知って、好きになってくれてから付き合いたい。
メールや電話をして、一緒に出かけたり、二人ともが楽しめる場所を見つけて。
どっちかが我慢して付き合うのではなくて。
勝手な都合を押し付けるのではなく、相手を大事に思い合える人。
広瀬さんが、そういう人であってほしい。
言葉には出せない想いは、視線ににじみ出てしまいそうだ。
「北村君、高島君が店員さんと話してるよ。そろそろラストオーダーかな?」
「時間的にも、たぶんそうですね」
広瀬さんの予想通り、ラストオーダーの告知だったらしく、何故か晴香さんではなく、主役のはずの川原が音頭を取って、ラストオーダーと2次会に流れる算段がなされる。
普段から夜遅くまで働いている人たちは、夜に強いのか、半数くらいは行くようだ。
仲のいいホールの女子たちも半数ほど行くとのことで、帰ろうと思っていた気持ちが大きく傾く。
「北村君も行こう?あんまり飲んでる様子なかったし」
広瀬さんが2次会に誘ってくれたから尚更。
「広瀬さん、まだまだ飲み足りないんですよね?」
「北村君もうちょっと付き合ってくれないかい。店長相手より、可愛い女の子と飲んだほうが楽しいじゃないか」
後から来たとはいえ、次から次へとビールジョッキを空けているはずなのに、ちっとも顔色の変わらない広瀬さんにさりげなく肩を抱かれる。
女子慣れしすぎているスキンシップをどう解釈するか考える間もなく、店長から目ざとく「セクハラ~」とヤジが飛ばされ、広瀬さんは大げさに驚いて両手を挙げて手を離してみせる。
さらに、出来心だったんです、訴えないでください!と店長が笑いながら土下座を始めると、広瀬さんが揃って謝り、悪乗りした他のスタッフも便乗して土下座を始める。
土下座の伝染に困って、「されるのは困るけど、するのは好き~」と隣にいた仲のいい女子に抱きついて巻き込むとブーイングと、歓喜の悲鳴が同時にあがり、てんやわんやとなる。
この雰囲気は楽しいし好きだけど、折角のきっかけを捕まえられなかったのは失敗だった気がする。
好意は抱かれていそうだ、と解釈することで満足しよう。
何も、今日全てのことを知る必要はないし、今まで十分時間がかかったのだから、これから時間をかけて距離を近づけたらいい。
タイミングを見計らって集めていた会費で会計を済ませ、席を離れたついでに親に一報遅くなる旨を連絡しておく。