手の届く距離
気持ちよさに流されそうになったところを揺り起こされる。

力を込めて目蓋をあげると、不自然に長いまつ毛に縁取られた大きな目に覗き込まれていた。

「うぉあ。晴香さん、近っ!」

飛び上がってボックス席の奥に背中が着くまで後ずさる。

嫌いってわけじゃない。

どんな美女だろうと、間近で覗き込まれていたらびっくりする。

晴香さんは不満げに腕を組んで仁王立ちしている。

「寝てるってどういうことよぉ」

俺の向かいに腰を下ろし、店員に手馴れた様子でオーダーする晴香さん。

「ち、遅刻して何言ってるんすか」

「いい女はちょっと遅れるくらいがいいの。祥ちゃんもいい女してるわけ?」

なんとか言い返すが、晴香語録とでも言うべきか、晴香さん的基準を披露されるのみで、反省の欠片も見えない。

いきなり鏡を取り出して、髪型チェックをする辺りも晴香さんならでは。

「はぁ、少し遅れるって連絡ありました」

座りなおしながら、晴香さんからは視線をはずしたまま伝える。

机に置きっぱなしの携帯は静かに鎮座している。

「アラ、律儀」

まったく悪びれる様子もない晴香さんの様子に、彼氏さんの苦労を思って同情する。

時間を守ることもなんて、当たり前すぎて今更教えることではない。

「祥子さんの感覚のほうが普通です」

「普通の定義をしてごらん」

「めんどくさ」

「失礼ねぇ!」

鏡越しに晴香さんは軽くねめつけてくる。

晴香さんとのやり取りは、嫌いじゃない。

なんだかんだ屁理屈をこねるのが上手だが、妹のごね方に比べたらかわいいものだ。

店に新しい客を知らせるベルが鳴り、視線を向けると、祥子さんが店員に話しかけているのが見えた。

「あ、こっちっす」

立ち上がって祥子さんを迎える。

それが晴香さんには不服だったらしく、見る見る頬が膨らんだ。

「それよ、私は後輩君のそういう従順なところを見たかったの!」

「見れたじゃないっすか」

「私にやってよぉ」

「営業時間は終了シマシタ」

席に腰を下ろし、晴香さんの隣に座る祥子さんにメニューを差し出す。

「二人とも遅れてごめんなさい」

まずは謝罪の祥子さんに、晴香さんとの対応で毛羽立った気持ちを癒してもらう。

すぐにメニューを決めて、案内してくれた店員が去っていくのを確認してから晴香さんに言ってやる。

「ほら、晴香さん、祥子さんみたいな挨拶が理想です」

「そんな惚気聞きたくなぁい」

「な、にをっ、惚気じゃないっす!」

「二人とも相変わらず仲いいね」

祥子さんが参戦して真っ向否定も出来ず、口をつぐむ。

「そりゃ、後輩君超かわいいもん」

「確かに、川原はかわいい」

「・・・なんか嬉しくないっす」

一人でも手一杯なのに、二人がタッグを組んでは手に負えない。

小さくもない男子相手にどこを持って『かわいい』の感想を抱くのか、女性の『かわいい』は理解できない。

せめて通訳か、後方支援して欲しいところだが、望める相手がいない。

「じゃ、祥子ちゃんも来たところでぇ本題に入りまっす。質疑応答、異議は随時受け付けまーす。では」

それだけ俺に言って、晴香は俺から引き出した由香里との別れ話を祥子さんに話しだす。
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