手の届く距離
いきなりの別れ話と由香里の浮気。
由香里が俺を、暴力を振るうDV彼氏扱いしていたことで、新しい彼氏が追いかけてきたこと。
その3日後から、由香里が謝罪の連絡をしてきて、徐々に回数がエスカレートしていること。
とんでもなく馬鹿でかい尾ひれでもつくかと思ったが、スマートに説明した晴香さんが意外だった。
多少の補足以外、ほとんど口を挟むことなく説明が終わると、祥子さんが何度も瞬きをする。
「片方が悪いとは言えないのが恋愛だと思ってたけど、今回は全面的に由香ぴょんが悪く見えるね。なんか、由香ぴょんから聞いてた話だと、大分伏せられてた話もあったな」
恋愛に関しては二人の話なのだから、自分にも寂しい想いをさせた非があるのは確か。
そこは反省するし、もう同じ轍は踏まない。
祥子さんの言葉に釘を刺された気持ちになる。
しかし、いつの間に由香里と話をしていたのか、昨日の夜からまだ1日経っていないのに、女性の連絡網は早すぎて驚くばかり。
「由香里と、話したんすか?」
「うん、川原と電話で話した後に掛かってきて」
さも当然のように話す祥子さんに、晴香さんが嫌そうな顔を作る。
「何、その女。祥ちゃんに取り入ろうって魂胆?」
むっとして腕を組む晴香さんの言葉に、また胃が痛んでそっと腹さする。
「あの、晴香さん。すっげ勝手なんすけど、由香里のこと悪く言わないで、ほしいっす」
別れ話自体が、けして由香里の株を上げるものではないのに、それを口にする俺がこんなことを言うのはおかしいのかもしれない。
苦々しい気持ちを抱えながら、晴香さんにお願いする。
晴香さんは目を見開いて、祥子さんと顔を見合わせてから、二人揃って同時に噴出した。
「後輩君、やっぱり超いい子」
「川原のそういうとこ好きだな」
楽しげな二人の様子にこちらがきょとんとしてしまう。
褒められている言葉のはずなのに、馬鹿にされている気もする。
「ごめんね、後輩君。別れ話だけ聞いたらすごい悪い女にだけど、後輩君のいい人だったんだもんねぇ。優しぃ」
二人して生暖かい目を向けてくる。
どうせ夢見てますよ。
初めての彼女だったんだから、そのくらい許されていいだろう。
これ以上悪い印象を、自分が持ちたくないというのも本音だ。
二人の視線が恥ずかしくて、左手で顔を覆う。
「もしさ、由香里ちゃんが川原とやり直したいって言ったら、やり直す?」
「それは無理」
顔を隠したまま祥子さんの問いに即答する。
そこは即答できてしまう。
大事にしたいのは思い出。
これからのことは考えられない。
今から由香里を信用することはとてもできない。
本人に直接会ったら、気持ちがぐらつくかもしれないが、最後に見た光景は悔しくて悲しい。
知らない男に抱かれて泣き崩れる由香里なんて、俺が望んだものじゃない。
裏切ったのに、メールと電話は由香里を許せない俺を責めてくる。
放置していた携帯が鳴って慌てて止める。
喫茶店という公共の場であるし、音はしなくてもバイブレーションの音は目立つ。
祥子さんが来た時点で電源を落せばよかった。
手早く電源を落としてポケットに放り込む。
「なら、そうやって伝えとくね」
「そんな、いいですよ、祥子さん。着拒してるし、さすがにわかってくれたんじゃないっすかね。今日の昼から連絡こなくなったし」
さっきまで携帯を放置していたのを忘れていたくらいだ。
このまま平穏に戻ることができるなら、これでいい。
「ねぇ、それってさぁ、今日の昼まで連絡があったってことよねぇ?」
晴香さんの指摘に、口が滑った自分を叱咤する。
このまま逃がしてくれそうにない視線に、追求を覚悟してそろりと口を開く。