GOING UNDER(ゴーイングアンダー)
「それで心残りが琴子ちゃんのことだってわけね」

 溜息混じりに、真由子がそう相槌を打つ。

「桜井くんが家に戻らないつもりなら、これから琴子ちゃん、ますます大変になるわよね」
「ああ、そうだな」

 知明は目で頷いた。

「だが、琴子を連れてはいけない。琴子はまだ中学生だし、手続き的にも家から連れ出すのは無理だ。それでも緊急避難所ぐらいにはなるかもしれない」
「だから連絡先を教えておこうと思ったのね。でも、桜井くん、どうして家を出る前に琴子ちゃんにそれを伝えておかなかったの?」

 その質問には、知明は少し考えて、こう答えた。

「琴子がおふくろの言いなりだったからだ。琴子を通して両親に知られる危険があると思ったんだ。おふくろに、何か隠していることがあったら話すように言われたら、琴子はきっと話してしまう。少なくとも転居先を確保して住民票を移してしまうまでは、計画を阻止されるような危険は冒せなかった。それで用心していたら、伝える機会を逸してしまった。普段から琴子とは生活のペースも違うしで、近頃ではほとんど顔を合わすこともなかったしな」
「それでも同じうちにいるんだし、桜井くんにその気があれば、直接伝える機会はあったはずだわ」
「そうかもな……」

 知明は頷くと、椅子の背にもたれて、ゆっくりとした口調になった。

「正直おれは妹に対しては、何をどうしてやればいいのかよくわからないんだ。そもそもこうやって、おれの居場所を伝えておく必要があるのかさえ。おれはおふくろの執着と束縛が死ぬほどうっとうしかったが、どうやら琴子にとってはそうでもないようだ。おふくろに医学部に行くようにいわれてからの琴子は、とにかく何でもおふくろのいうがままだ。自分では何も決めようとしないし、まるで考えようともしない。おふくろの決めたことだけに従っていればいいと思っているらしい」

 ゆっくりと言葉を選びながらも、知明はさっきからじっと美奈子の方だけを見ている。美奈子に向けて話しているのだ。
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