Anywhere but Home(エニウェア バット ホーム)
再会

「桃野!」

 暮れなずむ街の雑踏の中、その声が不意にすぐ近くで耳をかすめたものだから、夕佳はてっきりそれを空耳だと思ってしまった。
 懐かしい声。
 本当に彼がそこにいると思って振り向いたわけではなかったのだ。

 せわしなく行き交う人ごみの中、頭一つ分周囲よりも背の高いその人は、こちらを見て佇んでいた。
 伸ばしかけた手が、中途半端なところで止まっている。
 驚きに目をみはっているのは、きっとこちらも同じ。

 だけど、そんな顔をこれまで一度も見たことがなかったから、一瞬見とれてしまった。
 ほんの一瞬だけ。

 いつも冷静で、どちらかというと冷やかで、さらにいうと感情をあまり顔に出さない人だった。
 その整った顔が苦しげに歪んだのを見たのは一度きり。
 最後に会った、あの日だけだった。

 あのからもう2年以上も経つのに、顔を見るだけで心臓が跳ね上がる。ぎゅっと胸が締めつけられて、息が苦しくなった。
 こっそり深呼吸して、なんでもないふりをして口を開く。

「ひさしぶり、桜井くん。元気そうじゃん」
「……ああ」

 桜井くん。そう呼ばれた彼の視線が微かに揺れる。つきあっていたときは、夕佳は彼のことを『知明』と名前で呼んでいたから。
 伸ばしかけた手をそっと引っ込める仕草もなんだか彼らしくなくて、思わずそれを夕佳は目で追いかけてしまった。

 骨ばって大きな手。長い指。
 つないだ手がすっぽりと包まれるぬくもりを、夕佳の左手はいまでも覚えている。

「桃野も元気だったか?」
「うん。元気だよ」
「そうか。ならよかった」

 軽い調子で答えたら、その人は少し口元をゆるめて微笑んだ。
 元気そうなどと言ったのは自分だったけれども、その言葉とは裏腹に高校のときと比べて少し痩せたように見える。顎のラインがシャープになって、目元もやや鋭さを増したような気がした。

 交差点のすぐ近くだった。立ち止まった2人を人の波は器用によけながら流れていく。

「東京に出てきてたのか?」
「そうだよ。桜井くんも?」
「おれはS市の自宅から電車通学だよ」
「そっか。結構遠いから大変だね。受験、どうだったの? 無事に医大生になれた?」
「いや」
「あれ? ひょっとして浪人生? 進学塾通い?」
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