Anywhere but Home(エニウェア バット ホーム)
 デリケートな話題かもしれない。でも、気をつかいすぎると却って気まずい。夕佳はなるべくあっけらかんとした調子で聞き返した。
 桜井知明は、夕佳の言葉にもう一度首を横に振る。

「進路変更したんだ。医学部は受験しなかった」
「え?」

 今度こそ驚いて、夕佳は背の高いその人を見上げてしまう。

「だって桜井くん、お父さんの病院継がなきゃなんないんでしょ?」
「いや、後継ぐのやめたから」

 だって、そんなのあの人が許すはずが──。
 そう口に出しかけて、夕佳は思い留まった。

「──そっか」

 信号が赤から青に変わって、信号待ちのため溜まっていた人たちが、別の向きに流れ始める。
 潮時だ。

「あたし、これからバイトがあるんだ」

 なるべく明るい声でそう告げる。

「元気だってわかってよかった。じゃあね」

 軽く手を振り、夕佳は長い横断歩道を急ぎ足で渡り始めた。

 ところが──。

「待ってくれ!」

 その人は大股で歩いて夕佳を追いかけてきた。中央分離帯のところまで来たところで、追いついて横に並ぶ。

「少しでいい。君と話がしたい」
「ごめん。ほんとに時間がないの。バイトあの角の向こうのファミレスだから」
「バイトが終わってからでいいから。待ってるから……」
「だめだよ。きょうは深夜までなの。終電の時間があるでしょ?」
「深夜って何時までだ?」
「待ってるつもりなの?」
「待ってる。何時上がりだ?」
「桜井くんの強引なところ、変わってないね」

 夕佳は少し口を尖らせて、並んで歩き始めた彼の端正な横顔を見上げた。

「バイトは11時上がり。でも待たなくていいから」

 交差点を渡りきると、夕佳はそれだけ言い捨てて今度こそ小走りで駈け出した。
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