金魚の群れ

3

「だ、か、ら。すきを見て告白するのよ」
「すきって何よ」
「ほら、おばちゃんたちの見ていないときとか、ほかの社員がいないときとか」
「無理だよ。それに顔も知らないような人から告白されたら困るだけだよ」
「だって、話しするようになったんでしょ」
「あいさつだけね、それも言葉なんて『こんにちは』くらいだし。辻堂さんの中では『プリンをくれた子』程度の認識だと思うよ」
「それでも、アピールしないと」
「マスク、帽子、白い服。顔も分からない状態で何をアピールするの」

目の前の席に座って力説する享子に笑いが漏れる。
人のことなのに、自分のことみたいに考えてくれる享子は本当に良い友達だ。

春が来ても私の片思いは変わることがなく、あの日以降少し変わったことといえば、辻堂さんが声をかけてくれることだ。
うれしいけれど、話を続けるわけにもいかなくて頭を下げるだけで精一杯。

それと、たまに食堂で休憩するのを目にするようになった。
食堂のカウンターに背を向けるように座ってコーヒーを飲んだりしている。

丁度片付けをする時間なので、ゆっくりとその姿を見るわけにはいかないけれど、たまに目に入るその背中がうれしくて、少しでもバイトの時間を増やしたくなる。
そうはいっても、2年生に進級したので、実習やらなんやらが入ってきて、バイトの時間を確保するのもむずかしくなってきている現状。

「それに、見ているだけで十分だよ」
「そんなぁ、かりんには初めての恋愛。うまくいってほしいのに」
「あー、そのうちに頑張るかな?」

自分でも疑問形になったのがおかしくて、つい笑ってしまう。

「もう、そんな悠長なことしていたら、誰かに取られるから。それに、来年には会えなくなるんだよ」
「そうだね」
「やっぱり編入試験受けるつもりでしょ」

手元にあったパンフレットを見て、享子の顔が少し寂しそうにゆがめられた。

「うん、管理栄養士になりたいし」

将来のことを考えたときに、自分の中で少しだけやりたいものができた。でもそのためには4年制大学に通う必要があって、この夏に編入試験を受けることにした。学費の面で両親には迷惑をかけてしまうが、『やりたいことができたなら』といって承諾してもらえた。

今の学校より少しだけ遠い場所になる。
うまくいけば通うことになる新しい学校は、お隣の県になるためにせっかく慣れてきた場所を離れなければならない。

「実習に、勉強に、ますますバイトの時間が無くなるじゃない」
「そうだね、でも勉強は夜にするし、バイトは経験になるからつづけたほうがいいかもって先生にも言われたからできるだけ頑張るよ。」

忙しいけど、自分の決めたことだから。

「それに、辻堂さんに彼女ができるかもしれないし。見ていないほうがいいのかもね」

小さなつぶやきは隣にいる享子には届かなかったみたいでほっとする。

春になって、辻堂さんがよく女性と一緒に食堂に来るようになった。うわさ好きの人たちの間では、恋人になるのも時間の問題なんてささやかれている。

移動で他県から来たその人は、キャリアウーマンという文字そのままのような人だった。パンツスーツをさらりと着こなし、ショートボブの髪にいつでも整えられた指先。ピンク色のネイルは嫌味もなくほっそりとした指先を飾っている。ノーメイクにすら感じる化粧をしながらも、その顔は誰よりもきれいに見える。

「辻堂君」

役職もなく読んだその名前に嫉妬すら感じた。
彼女はさらりと名前を呼んでその隣に並ぶ。

私には手の入らない場所、行きたくても行けない場所にその人は何の苦労もせずにいる。

いままで一人で来ていた休憩すらも二人で来ることもあって、楽しそうに笑うその人の顔を見るたびに胸が痛くなった。
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