僕は悪にでもなる
社会
そして少年院から出院して 月がたった。
あたたかい春の日差しとほってた顔をぶらさげて日々をおくる。
やさしい社会の日差しを浴びるたびに
あのさみしい少年院での暮らしが
つめたくこおった氷が溶けて行くように忘れて行く。

朝起きて自由奔放な日々がはじまる。
そこには鉄格子もなければ、厳しい面をした教官もいない。

こおった心が水になり自由奔放に流れ出すように
社会の常識になじんでいく。

とけきった心は一体どこに行けばいいのか
どう形づくればいいのかと
歯止めがきかなくなったように危機を感じ始める。

確かに自由で幸せだ。
これからどこへ行こうとも何をしようとも自由だ。

のどが乾けばいつでもポケットにはお金があってコーラを買って飲めるし
帰りに服屋によりたけばたちよりいつまでも自由に選べる。

何をしたらいいのかわからずと家についても
次にすべきことは用意されていない。

テレビを見るのもよし、見慣れない雑誌を見るのもよし
ただ感じたのは
いつでも誰かと話せて交流がもてる状況で
一人でいるのはさみしすぎた。

表現が自由にできて
生き方も自由
過ごす時間も
服装も格好も人間関係も
自由な世界。

だからこそ必要以上に人と比べ
そして孤独を感じた。

極端に欠点が見え、焦りを感じていた。

心少しずつ暖かい太陽あたためられているようで
社会の日差しにとまどいながらも
気がついた時には干からびそうにもなっていた。

表現の仕方が無限にあるせいか
広い広い世界にとまどい悲しく切ないこころと共に春を過ごした。

そして夏が近づくたびに完全に水分をなくした心が
当たり前にのように人格化していた。

少年院帰りの少年を珍しそうにたくさんの人と短期間であった。
気をつかったように、笑顔を見せて
まるで自分が送ったくそのような泥臭い毎日の片隅さえも
見えない人間たちが近づいてきた。

宇宙人と話しているようだ。

特に特別な感情もなく、
親近感も価値も感じないままとりあえず人と話している。

遠くにもでかけた。
いろんな人の家にも行った。

あれだけ中で願った人とのかかわりがうすっぺらく
想像以上に意味を感じなかった。
社会に、泥道を知らないのうてんきな人のテンションにまかれて
しだいに固まった心が溶けだしていく。

少年院ではいろんなことを感じた。考えた。気づいた。
見えないものも見た気がする。
大切なものを見つけた気がする。

でも子供じみた人々のテンションに自分の大切なものが
壊されていくと恨みまで感じた。

どれだけのものを自分が気づこうとも。
どれだけの修行や苦しみを乗り越えようとも
この社会では何一つ通用しない。

ただ築き上げてきた結果自分が立つ位置は
ようやくスタートラインにたったらしい。

この現実に出会いながらも
世間のやつらは
かっこうがどうだとか、髪型、ファッション、流行り
乗り物、身長、顔立ち・・・
見えるものを必死で比べあいをしている宇宙人たちを
見ると心の見えないものを比べたがる自分とのギャップは
はげしく、まだ変人扱いされているようで
どうしても認めたくなかった。

だがそれは事実だった。
人がどれだけの思いを持とうとも、
人がどれだけ硬い決意や気づきに出会おうとも

それはすぐには見えない。

見えるものは自ら表現できるが
見えないものを表現するものは変人あつかい。

となると心の成長は見てもらうのを待つしかないのだ。
事実として男も女も
見えるものでまず位置を決めるものだ。

それから見えないものを探して再確認していく。
そうして人は人を見て評価しあっている。

いくら心が成長したといえ
なかなか勝算は見えないものだ。

そう考えると皮肉にいらいらとしてきた。

うますぎる飯と、くつろぎすぎた風呂
あたたかい気候と
やけにはだざわりのいい服。

小物が異常にあふれる自分の部屋。
聞きなれないテレビの音。

いつでも開く部屋のドア

ふっと力がぬけて悩もうが、苦しもうが
自由の甘えにごまかされるように眠りについた。

しかしそんなギャップが作り出した幸せはひと時のもので
長くは続かなかった。

そして残ったのは悩みと苦だけだった。

とまどう自分にまた誘いがあった。
昔から知っている年上に友人と年下の女の子

年上の友人男2名、女1名そしてその女がよんだ年下の女。

その女はしおりと言い、一度昔に男と女の関係になったこともあった。

詳しくは覚えていないし、思い出そうともしなかった。
なんの意地か知らないが見た目に気を使おうとか
人と愛を感じたいとか
そんな余裕はなく、とにかく人を恨まないように
人生への恨みを止めようとそれだけで必死だったからだ。

とりあえず無関心にでかけた。
そして喫茶店に4人ではいった。

禁煙にとパイポを加えて
話すこともないだろうと雑誌をとった。
するとその中の男一人が(ほれはないだろう)
とうっとしいテンションで言った。
すると残りのものも反応するように
興味もない社会の常識につながれているように
びんじょうしてきた。

抵抗するほど興味もなかったのでそのまま雑誌を本棚にもどした。

そしてこれからどこへ行くとか何をするとか
どうでもいい話をしながら時がすぎた。

結局夜景を見るために展望台へいった。
その次へ海にいった。

その間ずっと昔から知っているしおりの妙な意識を感じていた。
自分に興味があるのか
なんとなく視線を感じるのだ。

人とこうして遊ぶのは久しぶりだった。
女をみることさえも久しぶり。

珍しそうによそよそしい態度で接することはすでになれていた。

しかし何か妙に心を見られているような
心と心が接することにはまだなれていない。

しおりの振る舞いはみんなと少し違う。
自分の過去も、状況も、見た目も何もかもを超えて
というか心までの壁を見おろすように直接
心を見てくる。

僕は戸惑った。
そんな視線を感じた時どう対応すればいいのか。
どう感じたらいいのか。

そんな体験をした僕は一気にこの社会に戻った気がした。

あまく、やさしい。

しばらく離れていた社会は
くさったがらくたとしがらみの隙間に
やさしく咲く花がある。

その花のために生きれる人々。

とまどいながらもそういうしおりとひと時を過ごした。

その後よそよそしいみんなもしおりもそれぞれの家に帰った。

僕は何か心を見られたようで
むずがゆくゆるむようでしおりと過ごした時間が
堅くかみつくように記憶に残る。

するとラインがはいった。

嬉しかった。
もう僕はとまどう鎖がはなれて一瞬自由の海にでようとした。
だけど最後の鎖がはなれない。

このまま海にでれば自信のない自分は自由の海にまよいそうで。

なぜなら自分を愛していない。
生きることさえもままならない心が
自由の海で旅はできない。
不満や不屈にそまった心に光をあてて自分を愛した。
だけど今はその光がまぶしすぎた。

そして僕はとどまった。

この世の自由は愛だ。

自由の海にでるものは人を愛すことができる。
人を愛したものが自由の海で旅ができる。

しかし人は自分を愛さないと人を愛せない。
人を愛すことが怖くて恐ろしい。

自分を愛する条件はひとさまざまだ。
見た目、職業、地位、環境、経済力、性格、

僕は自分を愛するために満たす条件はあまりにも多かった。
最後の鎖と思いつつ
いくつもの鎖が自分をとどめていたみたいだ。

この鎖を切って海にでるまでかなりの時間がいりそうだ。

だけどいつかひとつずつ鎖をきってこの海にでたい。
自分を愛し、人を自由に愛するこの海にでたい。

人の人生の最大の目的を見つけたような気がした。
< 22 / 54 >

この作品をシェア

pagetop