僕は悪にでもなる
空美
重たい音をたててドアが閉まる。
湿った空気と乾いた薄いカーペット。
むき出しのトイレにくすんだ壁。
薄暗い部屋に鉄格子からわずかな光が差す。

「なつかしい。」

固い床に腰をかける
ずしんと重たい体
このまま、床を突き破り、地を潜り
深く深く沈んでいくような。
どこまでも重たい体。

そしてこのまま地獄へ遠い世界へ暗闇の底へ。
行きたい。
何も聞こえない、何もない、場所へ
厄神よ。このまま俺を連れて行ってくれ。
肉体も魂も心も跡形もなく
今すぐに今すぐにこのまま消えてしまいたい。

そう灰心が願う。
願っても願っても半死の俺はここにいる。

ここから、始まった。
すべての始まりは俺。
雪美が死んだ。
虹美が死んだ。
かずみさんが死んだ。
直樹が人殺しになった。
俺が東京にこの厄神をつれてきた。
耐えきれない罪と悔い。
なぜかずみさん。。。なぜ直樹。。。
二人の想いやり、その愛さえ恨んでしまう。
なぜ俺をかばった。
なぜ俺にさせてくれなかった。
二人を失った悔いが悪夢に変わり無限の苦しみを感じる。

めぐるめぐる悔い。
悪牙が心にささり
悪悔が頭をめぐり息ができない。

胸が押しつぶされそうで、厄神に心をつかまれたようで。
苦しい。

めぐるめぐる悔いから逃げるように
飛びそうになる意識
横たわり眠りについても悪夢におかされる。

おきて悪息を吐けばまた頭に悔いがめぐり次第に苦しく心をつかまれる。
まさに生き地獄。

だから死にたいのに。
まだ厄神に心を掴まれながら息をしろと。
耐えられない。

死にたい俺がやればよかった。
やりたい俺がやればよかった。
誰も巻き込まず、俺が大井を殺していればそれでよかったのに。

厄道一筋生き悪が
どれだけ愛を拒もうと、
どれだけ悪息を吐いても
愛からむ。
その愛を厄神がもて遊び、俺の心につけ込んでくる。
握って息ができなくなり、死にそうになれば悪息をはかさせて
笑ってる。いつまで続く。どこまで苦しめる。いつまで笑ってる。

もう言いだろう。苦しむ俺を見て笑うのはやめろ。
十分楽しんだだろう。

でもここでは死ねない。
しばらく死ねない。
裁判が終わり務所に移動すればどんな手段を使っても
終わりにしてやる。
その時は厄神よ。遊びはおわりだ。
もう俺を苦しめもてあそぶのは終わりだ。

幻覚を見ているように、存在もしないものに話しかけている。

呪われた一世。振り続ける厄苦。
それでもなお愛がからみ
その愛がさらなる苦難を生む。
誰かに遊ばれているかのように
繰り返し、繰り返し。
災難がおき、愛がからみ、愛がさらなる災難に。
繰り返し繰り返し。
どれだけ拒んでも
さらなる苦に変わる愛を投げてくる。
誰かが遊んでるかのように。

それが厄神。俺についた悪魔。すぐに終わりにしてやる。
そう見えもしない相手に言い放った。
その時、またあの男が俺の前に。。。

「幸一君。すまないことをした。私が目を離したときに。
私には君が背負う苦しみを想像すらできない。
でも死んだらだめだ。君は生きるんだ。
今が暗闇でも雲は必ず流れて日射す」

鉄格子の向こうから強い目で俺に言ってきた。
「一体お前は誰なんだよ。お前に何の関係があるんだよ。
務所に行けば必ずこの厄命を絶つ。」

「君の逮捕は取り下げる。調書もとらない、立件もしない、裁判もない
このまま君は社会に帰っていきるんだ。」

俺はにっこり笑った。
そして厄神に心でささやいた。

「これまでだ。もう遊べないな。すぐにこの命をたってやるよ。」

「君に合わせたい人がいる」

この場に及んでまた厄神はまた俺をもてあそぼうとしている。
愛と言う餌を散らかしてきた。
俺を針にかけて、くたばるまで泳がしまた遊ぼうとしている。

「誰だ?」

男は何も言わずに重たいドアを開けて俺を連れていく。
ある応接間のような部屋につきドアをあけた。

そこには清く美しい一輪の花
清澄で大きくまるい瞳に精粋な涙をためて、俺の元へ走ってきた。
空美だった。

「幸一―――――。」

小さな体が俺に抱きついた。
小刻みに震えている小さな肩。
子供の温かさ。温もり。
五臓六腑に浸みわたる。

俺はこんなかけがえのない小さな命さえ忘れてしまっていた。
実現もしない、厄神を創り出し、全てを厄神のせいにし、悪夢にとらわれている間も
この小さな花は負けずに立っていた。

もしかすると又この愛がさらなる災難をもたらす厄神のいたずらかもしれない。

でも目の前で震える小さなうさぎを、清浄無垢な瞳を、目をそらすなど到底できない。

空美の温もりを感じ、ゆっくりとゆっくりと呪いが溶けてゆく。

ようやく俺は愛息を吐くことができて声をかけた。

「空美。」

俺の胸に顔をうずめて泣いている。
悲しかっただろう。さみしかっただろう。

「一人ぼっちにさせてごめんな。俺がずっとそばにいる。」

ぎゅっと抱きしめる。

「空美。お前にはとても酷な話をしなければならない。
伝えなければならない。」

空美は涙をぬぐい、
強く心を締めるように、小さな命で踏ん張るかのように
唾を飲んで小さな顔をあげた。

「かずみさんは死んでしまった。
直樹はしばらく、帰ってこない。それまでちゃんと俺がついているから。もう一人ぼっちにさせないから。
頑張れるか。」

力づよくうなずいた。

俺はこの小さな命。晴天の澄んだ青空に太陽がさしかかり、その温もりが呪いにかかり、膠着した腐った心がまた溶けてゆく。溶けた心に流れてくる強い愛念と希求。

また命を救われた。

呪いに負け、厄神を憎み、諦めようとした弱き心を悔いあらためて
この子と行き、この子を守る。強く精魂を込める。

「幸一。」
「どうしたの。」
「本当にずっと一緒にいてくれる。私いい子でいるから。
幸一が一緒にいてくれるなら空美頑張れる。」
「うん。約束する。さあ手を出して。」
小指を差し出しだした。

「約束な。」
小さな小指から伝わる哀傷。
小さな体で踏ん張る伝わる強さを感じた。

「まだ生きろと言うですね。」
温かく安心したように見守っている男に声をかけた。

男は小さくうなずいた。

「一つ聞いてもいいか。」
「どうぞ。」
「あんたは一体誰なんだ。逮捕をもみ消し、俺に生きろと願い、空美に合わせて
何のために?」
「それはまだ言えない。」
「そう。わかった。」
「今日はここで止まりなさい。出前でも頼むから。」

俺は空美を抱いてソファーに腰をかけた。

「お腹すいたね。」
「うん。」
「もうすぐあの人がもってきてくれるから。もう少し待とうね。」

震えていた空美は安心したかのようにすっかりと震えがとまり
力がぬけて俺によりかかってきた。

小さな手から感じる温もりを守るように手を握った。

しばらくすると出前が着いた。

熱いご飯を箸ですくい、愛息をかけて少し冷やし
小さな口に入れる。

「おいしい?」
「うん。」
そうにっこりと笑顔を見せてくれた。
よほどお腹がすいていたのだろう。パクパクと食べる。

お腹いっぱいになった空美は俺の膝のに頭をおき
深い深い眠りについていた。

俺はそんな愛くるしい幸せそうに眠る空美の頭をなでる。

誰よりも悲しい想いをさせたのはこの子かもしれない。
でも負けずに小さな命で踏ん張るこの子の強さに心打たれた。

「トントン。」
ドアがなる。
「どうぞ。」
「布団をもってきた。眠れるか?」
「空美は気持ち良さそうに眠ってる。俺はこの寝顔を見るだけでいい。」
「そうか。ちょっといいか」
「えー。」
そう言って別の部屋に移動した。

「直樹君にこれを渡してほしいと頼まれた。」
それは通帳と印鑑。
記載された額はそこそこあった。

「どうやら、雪美さんと披露宴をいつかあげたいと貯めていたらしい。」
「そう。」
「でもこのお金を空美のために君に使ってほしいと。
君は直樹君が戻るまであの子を守っていくんだよ。
しばらく落ち着くまでゆっくりと過ごして、落ち着いたら保育園をさがし
仕事を見つけなさい。それが君に今できること。悔いを癒せるゆいつの方法だよ」
「そうですね。」
俺は直樹の意思を受け取った。

「それと、かずみさんのことだけど。自分が死んだら田舎に眠る娘の遺骨とともに
雪美さん、虹美さんと一緒の墓に入れてほしいと幸一君に頼んでくれと、最後に
かずみさんの死を見届けた私の部下が聞いたらしい。
東京で眠らないとこの先の幸一を見届けることができなからと。」

「そうですか。でもかずみさんは田舎に親戚や身内がいるのでは。」

「どうやら出身は福岡らしく、連絡を取りましたがつながらず、情報によると
ずっと絶縁状態らしく。君の田舎には誰もいないみたいなんだ。」

「直樹君は賛成している。知っていると思うけど雪美さんも虹美さんも身内がいないから
君の意見も聞きたい。」
「そうですね。かずみさんの意思なら賛成です。」
「娘さんの遺骨の移動はもう少し、調べをして、警察がするから。それと、明日かずみさんは火葬される。一緒に行きますか?」

「はい。お願いします。」

「では、今日はゆっくりと休んで。」

そう言って部屋をでていった。
俺は空美のそばに戻り共に温もりを分け合いながら眠りに着いた。

そして、かずみさんは火葬され、遺骨になった雪美と虹美が眠る場所へ。
それから、僕たちは必死で生きた。
哀しい歴史の上で痛む心をおさえて、保育園にいく空美。働く俺。
新しい日々。
次第に春が近づき
無事、娘の遺骨も届き、かずみさんが眠るお墓に入れる。
そして俺は4人の遺骨を手に桜公園にむかった。
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