僕は悪にでもなる
回想

吾輩は廃人であった。

あー。なんかおもしろいことないの?
これが僕の口癖だった。

幼少期に悲劇を出会い、母を失い。祖父も祖母も失い、父はいない。
たった一人になった。
その加害者へむけた深い憎しみとともに中学時代を送る。
その悪が心をむしばみ腐った毎日を送っていた。
求めるべき欲望、感じるべき愛情、全てを無視し
消えそうになる心の灯を、なんとか灯し過ごしてきた。

この憎しみから解放されるため、そして何か自分をかきたてるもの
を求めて東京にでた。

しかし東京で愛を裏切り、自分を裏切り、社会に負けて、自分を諦めて
田舎に帰ってきてしまった。

人はなぜ生きる。
責任感。
目的。
義務感。
愛。
見栄。
意地。

それとも一度しかないから。どうせ死ぬから。とりあえず生きる?

バカバカしい。

人の人生は常に醜い、困難、絶望、無気力、容赦なく降り注いでくる。
人はなぜそれでも生きていくのか。
死ぬことも醜い。威厳をもって死ぬことなんかできない。
死ねば灰になり、何にも亡くなってしまう。
次の人生などない。
時は、容赦なく知なる世界へと進んでいく。
みんなそれに従うことしかできない。

夢、希望、喜び、感動、興奮、快楽、達成感。
幸福のためにあらゆる試練を乗り越えて生きていくことが
前向きな答えだろう。
でもこの頃の僕には、あまりにも遠い存在。

夢を追いかける活力もなければ、興奮する方法も見つからない。

この世界に俺を掻き立てるもの、場所、人、方法がない。
何をしても満足しない。
探せば探すほどにみじめになる。
自分は弱い人間。
心が弱い。意思が弱い。我慢が足りない。精神修行をしろ?

精神修行など、結局は満足レベルを落とす他ない。
バカバカしい。

こんな絶望の闇の中でも
わずかに希望が残っている。

世間の人々のようにささいな幸せを感じ、目的をもち
誰かを愛して、喜びや充実を感じる。

ごくごく普通に。

ピクニックにいったり、キャンプにいったり、旅行にいったり。
普通に普通の生きる肥やしがほしい。

しかし、今の僕にはどれもばかばかしく思えてしまう。
かきたてる動機もうまれない。
体も動かない。
やる気がでない。

だったら最高の快楽を求め
はげしくうねる海原にでて戦い、強い野心とともに奮闘する日々も
憧れる。

普通の幸せは感じられない。
普通の生活には満足できないなら
夢のため、目的達成のために夢中になりたい。

そんな憧れもあった。

だが、だめだ。
かきたてるものが生まれない。

別に抱える問題があるわけでもなく
逃げ出したいものや、悩み事があるとも思えなかった。
突然理由なく悲しくなるときがある。
うーん。
悲しみというか恐怖感。

恐怖感といっても対物的に何かが怖いのではない

何もないことに怖いのである。

それは無に近い感覚。それが怖い。

人は目的を持つ。そして動く。その道中にある障害物や、困難に恐れているのとは
また違う。よほどこちらのほうが納得のいく恐怖感だ。
対策や手段を考えるたびに心や頭に、張りができて次第に恐怖感はなくなる。

しかし、この頃、目的がないことに恐怖感を覚えていた。
目的がなく動くこともないから障害物や困難にさえ出会わない。
目的をもつ体に力をいれる。
それができないことに恐怖を感じる。
だから解決策がなく解決すべき対象もなく実体もない
それは奇妙で不潔な感覚であった。

まるで魂が消えていくように。
実体のない奇妙なものに、襲われて震えているのに、体に力が入らない恐怖。

そう。
広く自由な海にたった一人で帆のない船で遭難しているような感覚。
未来も見えない。解決策のしっぽさえも見えない、まさに絶望。
叫んでも、叫んでも。広い海を眺めればただ悲しい。
寒気が走る不安と、身を守るにも守れない腰がぬけた感覚。
怖くて仕方がないのに、力がはいらない不安と恐怖
心が抜けて脳にはりがなく、あるのは私という体だけ。
少しずつ存在が薄れていくような感覚。
どこにゆけばいいのか、どこにいくのか、自由で広い海に迷う。
刺激、興奮、やる気、生きる肥やしというものがもう二度と手に入らないと震えていた。
生命力という、刺激、興奮、やる気、目的、愛、目標、喜び、感動
生きる肥やしがない。
自由で広い海にういているだけ。
自由で広いこの世界に体があるだけ。

生きる肥やしを
いつもちゃんと握っていたい。見つめていたい。そう願う心とはうらはらに見えなくなる。

頭では大切なものや目的があっても、心が廃化していく。

一体俺は何を求めている。何を欲している。
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