僕は悪にでもなる
そこで僕が目にしたものは、自分の想像とは違ったものであり、
不思議に感じた院生の異様な動きと顔つきと、つながった。

あまり広くない。みんなが集まる場所があって、それに沿うようにドアのないたたみの部屋が五室。
みんな丸見えになるよう設計されている。
死角になるのは一番奥にあるトイレだけ。
大きな声で申告し入っている。

院生達はただ歩いているだけなのに指先をそろえロボットのように、
真顔できびきびと動いている。
一言も口を開くこともなくそれぞれ役割活動をしている。

本当に犯罪をおかしたやつらかと、不思議に思ってしまう素振りだ。

中央に鬼のような顔をした教官が座っている。
その一匹の鬼がこの寮を支配し、鬼の機嫌を伺いながら生活する院生達。

誰もが思う悪の集まりではなく、まるで感情をもたないロボット達が一匹の鬼に
操られているように見えた。

僕は、その空気に圧倒され、いずれ自分もこうなってしまうのかと、収容されて以来最大の恐怖を感じた。

そんなことを考えていると。
眉間にしわをよせて鬼が立ちあがり僕の元へやってきた。
「あいさつは!!」
いきなり声をあげて目の間にたちはかる。
「宜しくお願いします。」
「声が小さい!!」
「宜しくお願いします。」
ともう一度言わされた。

鬼は僕の、教育係に金沢という院生を指名する。
呼ばれたロボットは体全身で返事をし、まるで非難するように鬼の元へ走ってくる。

それからその金沢から寮生活について、1から教わることになった。
言葉は全て敬語。
感情をもたないロボットのように説明する。
僕は、思わず監視の隙を見て話しかけた。

「みんなこんな調子?」
すると
「しゃべらないでください。私語は禁止です。」
と厳しく返してくる。

どう見ても悪人には見えない。

でもここにいるみんな同じように見える。
一体ここは何なのかとたまらなく不安になって、懲りずに話しかける。
「何をしてここに?」
「傷害だ。」
そう言った金沢は、わずかに悪の顔を見せ、前かがみになってめくれた服から
刺青が見える。

一体ここは何なんだ。
こんな調子でこの先何年も、ここで過ごすのか。
今は想像すらできずただ説明を聞き、私物を片づけた。

そして鬼の一言で全員部屋から出て、食事をする場所へ走る。
どいつもこいつもとてもついていけない動き。まるで軍隊。

そこで自己紹介をすることになった。
声が小さいと何度も言われ、何度も言い直す。
紹介を終えた時、金沢が、手を挙げた。
鬼が名前を呼ぶと大きな声で返事をし、立ち上がる。
「さっき自分が説明している時に話しかけてきました。
私は、私語は禁止ですと注意しました。」
とちくられた。

それを聞いた鬼はかんかんに怒っている。

「お前はここに何しに来たんだ。たるみすぎだ!全員こいつを相手にするな!」
そうみんなに訴えかける。

僕は、驚きはしたが、「なるほど。こういう場所か」と受け止めた。

それから鬼の一言で全員部屋に戻り、日記を書く。
書き終わると鬼の元へ渡しに行く。

みんな書き終えたようで、寮内は静かになった。
6畳の部屋には6人が居て、それぞれ一人1畳のスペースに折りたたみの小さな机と壁に付いた小さな棚、そしてきれいにたたまれた布団と枕とパジャマ。

壁につけられた折りたたみの机で漢字の勉強をしている者、手紙を書いている者、本を読んでいる者、それぞれ自分の時間を過ごしている。この貴重な静かな時間を食べるように、大切に過ごしている。

僕は、何もせずただ壁を見つめて座っている。

まるで異世界にいるようだ。寂しく静かな場所。誰も仲間がいない。
また、くそだと思っていた社会がたまらなく恋しくなる。

すると鬼の大きな声で静けさが、跡かたりもなく吹き飛ばされ、
またあわたたしく、厳しく、熱い炎に寮内が包まれる。

「就寝準備!!!」

寮生たちは貴重に過ごしていた静かな時間を、何ともなく放り投げ
怯えるように、慌てて動き出す。
私物を片づけ、服を脱ぎ、きれいにたたみ棚におき、パジャマに着替え、ふとんを敷き、
部屋からでていく。まるで神業のように。すばやく、きびきびと。

僕は、まだ、やっとパジャマをはおった所。
たたむ時間などない。
とにかく布団を敷いて、たたまず棚において部屋からでた。
もうすでに、びくとも動かないロボット達が横一列に整列している。
そして眉間にしわをよせた鬼がたっていた。

当たり前のごとく大きく怒鳴り散らされた。
点呼を終えてやっとのことで横になり安心した。
とにかく想像とは違った世界だった。
こうして集団寮1日目を終えてやっと眠りにつく。

静まった中庭を歩き回る鳴き声に気づき、目が覚める。
すがすがしく当てられた朝日を眺めながらとてもついていけない一日が始まることが、
たまらなく怖くて逃げ出したい気分でいる。
そんな思いもつかの間に、大音量のチャイムが鳴り響き、一日が始まる。

集団寮に移ったものは、まず1ヵ月間体力づくりを行う。
ここのハードな生活、ハードな勤務作業に付いていくための体力作り。
体育館の隅々にバケツがおかれて、ひたすらに走らされる。
腕が震えて力が入らなくなるまで腕立て伏せをし、
太ももが震えてけつから倒れ込むまでスクワットをする。
集団行動の訓練もひたすらに。
一寸のずれもないように右、左、右、左と掛け声に合わせて、
「全体とまれ!」の掛け声でピタッととまる。
1ミリのずれも許さない、指先のわずかな曲がりも許されない、
点呼のわずかなテンポの遅れも許さない。
ここで集団移動するときは、必ずこの動きで移動する。

まるで軍隊。

とにかく僕はこの異世界になれるよう、がむしゃらに生活を送る。

へとへとになった体を、何とか行進に合わせて集団寮のドアの前にピタッととまる。
ドアが開けられると、中に入り、解散と言う一声でそれぞれの寝床にばらつく。
体操服から室内着に着替えるが、小刻みに震える足と手。
思うように体が動かない。足は豆だらけ。
夕食までのわずかな自由時間に座りこめば、何とも言えない幸福感を味わう。
疲れ切った体が癒される。
飯なんかいらないから、横になりたい。
ずっとこのまま休んでいたい。
でもここでは、横になるのは就寝時のみ。
この貴重な時間を大切に舐めまわすように味わって食べる。感じる。

それでも、ここの刻みに決められたプログラムを淡々とこなし、
笑うことすら許されない行き過ぎたルールを守り
命を削るような訓練にも耐えて過ごしていく。
そう心に決めている。

それは、幼きころに体験した悲劇。
僕の目の前で母が強姦された。

僕は、その相手の男に異常なほどの憎しみと共に、今まで生きてきた。

復讐できた。それだけでここの生活に耐えていく十分な根拠になっている。

ここに来たことに一片の後悔もない。。
ずっと憎んでいたあの獣をやれたのだから。
ここの生活に慣れて、ここで過ごしていく。

そして、ようやく体力づくりの期間が終了した。
次は、刑務作業に移る。

割り振られた刑務作業は、農作業。
農作業と言うものは名だけで、上級生の一部のみが、それらしい仕事をしている。
その他は、中腰で永遠に草むしり、腰を上げると怒鳴られ、落としても怒鳴られる。
ある時は、ゆんぼうで大きな穴を掘り、別の場所へ土を移して山を作る。
それをまるで働きアリのようにならんで、三輪車で元の場所へと運んでいく。
まったく意味のない作業。

ぬかんだ地面に車輪がはまり、いっぱいに入れた重たい土。声をあげて前へ進む。
バランスを崩して土をこぼせば、鬼が発狂する。
まるで奴隷のように。
永遠とこんな作業をする。

毎日、朝食を終え、朝礼を終えて、着替え場所に移動し
つなぎ一枚になり足袋をはき、震えながら農場へ行進する。

地獄のような作業を行い、昼食時間がくると、着替えて行進して寮に戻る。
昼食を終えてまた、作業に戻る。
15時ごろに1度、10分休憩がある。
熱いお茶が飲めて土の上に腰をかけられる。
ひきつるように疲れた足を休め、熱いお茶で癒される。
見上げればどこまでも青く澄んだ大空。
なんとも言えない癒しを味わう。
そしてまた地獄の作業にもどる。

作業を終えて夕食を終え、就寝するとまた始まる明日への恐怖とともに眠り
絶望のチャイムがなって、心を捨てて、人間からただプログラムに従うロボットに
変えて動き出す。

雨の日は作業が中止され、勉強会や自主勉強、体育などにプログラムが変わる。
いつもより静かな時間が多く、聞こえる雨音がどこまでも心地よく
気持ちいい。体が休まる。

平日に1時間だけ院生が食事をする場所に集まり、テレビが見られる。
日曜日には、映画も見られる。

これが最高の楽しみである。

普通の生活にわずかに触れられるひと時。

あたりまえのように見ていたテレビ、映画。
ここに来るまでは何の喜びも感じられていなかったのに
僕は、今最高の幸福感を感じている。

お風呂もそうだった。

10名程度が入れる中浴場は、寮から少し離れた場所にある。
グループに分かれ、パンツ一枚になり、石鹸とタオル一枚をもって寮内に集合する。

掛け声ともに集団移動して風呂場に向かう。

真冬だろうが、雪が降ろうが、雨が降ろうが、パンツ一つで移動していく。
風呂に入り、かけ湯をかけて、石鹸で体を洗う。

香る石鹸がまた癒される。
洗い終わると、見張る刑務官に申告し、浴場に入る。
熱い湯が疲れた体の芯まで温まりとけていく。
意識が飛びそうになるくらい気持ちいい。
あれだけめんどくさくて入らなかったお風呂が、
僕は、今ここでは最高の幸福を感じている。

風呂であたたまり、部屋に戻ると少しの自由時間があり、
みんな、読書をしたり、手紙を書いたりしている。

ほてった体を座らせているだけで、こんなにも幸せを感じている。
休日は静かな時間が多く、ただその静かな空間で体を休めているだけで
たまらなく感じる、安心感と幸福感。

とにかく忙しく厳しい毎日だけど、僕は、、
ここに来る前の自分が感じられなかった幸福感と言うものを感じている。
不思議なものだ。
こんな些細なことで幸せを感じている自分がいる。

あの時と比べてここは確かに地獄だ。
だけどすることは全部決まっている。
誰かに決められたレールをただ言われるがままに進んでいるだけ。
ただこなしていくだけ。
そのはざまなに飽きない楽しみがある。
それを繰り返すだけ。
あの自由な海で迷っていたあの頃と比べて、今僕は生きている。
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