今宵も、月と踊る

(お菓子につられてその内出てくるだろうと思っていた私が甘かったのよね)

見当違いを反省しながら、ひたすらキーボードに数値を打ち込む。

普段なら30分で終わる事務作業を倍の時間をかけて終わらせ、やれやれと肩を回していると電話が鳴った。

2コールで電話をとった都築さんはいくつか会話のやり取りをした後、保留ボタンを押して受話器を置くと私を大声で呼んだ。

「桜木さん、エース製薬の若宮さんから電話よ」

「エース製薬ですか?」

意外な会社名に目をパチクリと動かす。

そもそも、内勤の私宛に電話が掛かってくること自体が稀だ。

これまで掛かってきた電話は不動産の勧誘や、投資の勧誘くらいで。名前を聞けば誰でも知っている製薬会社の人から電話がくる心当たりはない。

訝しみながらも受話器を取って、通話ボタンを押す。

「はい、桜木です」

“元気にしてた?桜木さん”

声を聞くやいなや、電話を掛けてきた人物の正体が分かった。

少し癖のある低音は昔から変わらない。

「吉池さんこそ、元気だった?」

私は突如押し寄せた思い出の波にあっという間に飲み込まれた。

< 236 / 330 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop