『好き』と鳴くから首輪をちょうだい
「私、あの家出て行く」


宣言するように言うと、ひゅ、と眞人さんが息を飲んだ。
驚く顔に、笑ってみせる。


「こんなことになったら、気まずいもんね。眞人さんのお蔭で引っ越し資金も溜まったし、近々出て行くよ」

「……そうか」


眞人さんの手にした煙草の灰が長く伸びる。それはぽとんと地面に落ちた。眞人さんがゆっくりと足で踏む。
それから、少しの時間を置いて、眞人さんが言った。


「俺も、榊さんのところに行こう、かと思う」

「……! そ、う」

「あのひとから貰い損ねたもの、全部貰ってきたいと思ってる」

「うん。きっと、いつかそう言うんだろうなって思ってた。それが、今なんだね……」


泣くな。泣くな。
私が家を出るって言ったのは、ついさっきのこと。
眞人さんと離れるのは、もう決まっていたことじゃない。

でも、距離を思うと気が遠くなる。
二度と会えないんじゃないかとさえ、思える。

離れたくない。
だけど、私に眞人さんを引き止めることはできない。


「最後の機会だって言ってたもんね。頑張って、ね」

「ああ。店は当分閉めることになる。クロにも、言わなきゃな。あいつのこと考えると、相談なしに決めていいのかとも思うんだけど」

「大丈夫。梅之介も、出て行くって言ってた。自立、するんだって」

「……そう、か。じゃあ、三人バラバラだな」


眞人さんの言葉に、涙が一粒だけ、堪えきれずに零れた。

バラバラ。

なんて、悲しい言葉なんだろう。
あの満ち足りていた生活が、音を立てて崩れていくような錯覚を覚える。
ぐい、と頬を拭って、私は眞人さんを見た。


「ねえ、眞人さん。眞人さんが行ってしまう日まで、私あの家にいてもいい?」

「え?」

「もう、一緒にいられる時間が限られたでしょう? だから、そのギリギリまでいさせて。そして、その間だけ、私を『飼い犬』のままでいさせて欲しいの」


せめて、お別れする間だけでも、あの温かさのなかにいさせて。
もう少しだけ、あなたの優しさに甘えさせて。
だって、一緒の時間はもう、終わりがそこまできている。


「我儘だって分かってる。だけど、お願い。最後だと思って、きいて。私、最後までちゃんと『飼い犬』でいるから」


眞人さんが、私を見る。
束の間、見つめ合った。


「お願い」


大好きな瞳が私を映す。そして、戸惑うように揺れる。


「……それで、お前はいいのか」

「うん」

「……わかった」


眞人さんが、私の頭にそっと手を乗せた。


「それまで、仲良くしよう。シロ」

「ありがとう」


あと僅かでもいい。この人の傍にいたい。
大好きな顔を見ながら、私はそっと笑った。


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