『好き』と鳴くから首輪をちょうだい
今度の休みは一緒にホラー映画を家で観よう、なんて話を梅之介としながら歩く。
もう少しで家に着く、という場所で、梅之助がぴたりと足を止めた。


「おい、ちょっとこっちに隠れろ」


近くの建物の陰に無理やり押し込まれる。


「な、なに? どうしたの?」

「あれ、見てみろ」


梅之介が前方を指差す。ちょうど、店の裏門の部分だ。


「なにー? あ、れ?」


門扉の前で、誰かと話している眞人さんがいた。
来客だろうか、と相手の顔を見た私は首を傾げる。


「あ! お正月に会った人!」


それは、初詣中の眞人を捕まえて熱心に縋っていた男性だった。
名前は確かええと、浦部、だったか。


「し」


梅之介が口元に手をあてて、黙るように指示を出す。こくんと頷く。
私たちは聴覚を最大限まで引き出すべく、耳を澄ませた。


「戻って来て下さい、おねがいします」


浦部さんが頭を下げる。眞人さんが重たいため息をついた。


「無理だと何回言ったら分かってもらえるんですか。俺に、あそこにどのツラ下げて戻れっていうんです?」

「分かってます! だけど、あなたはこんな小さい店ではなく、もっと大きな店の板場を仕切ることも出来る人だ! だから、どうか華蔵に戻ってください」


大きな店の板場……? 『華蔵』って、飲食店だろうか。


「嫌なんですよ、浦部さん。あそこにはもう二度と戻りたくない」

「榊(さかき)さんが待っていると言ってもですか⁉」


その名前を訊いた瞬間、眞人さんの動きが止まった。顔つきも変わる。
それを見て取った浦部さんは勢いづいて言った。


「まだ教えることが残ってたのにって言ってました。四宮さんがいなくなったことを一番残念がっていたのは榊さんなんです。榊さん、もう長く務めないと思います。だから榊さんの為にも」

「……板長には、本当に申し訳ありませんとお伝えください。浦部さんも、俺なんかの為にわざわざありがとうございました。でも、本当に戻る気はないんです。もう帰って下さい」


眞人さんは冷たく言い残し、家の中に入っていた。
「四宮さん!」と追いかけようとする浦部さんだったが、門扉を閉じられ、立ち尽くしてしまう。
浦部さんは、しばらくそこに佇んでいた。


「待ってますから!」


もう眞人さんが出てこないと判断したのだろう。
大きな声でそう言って、浦部さんはとぼとぼと帰って行った。


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