この恋、永遠に。
「専務?」

 気付けば沢口が目の前まで来ていて、俺の顔を覗き込んでいる。放心状態の俺を訝しそうに見下ろしていた。

「あ、ああ……どうした?」

「……絆創膏ですよ。医務室に寄るって言ってたじゃないですか。なかったんですか?」

 沢口が俺の血が滲んだ左手を覗き込みながら指摘する。そうだった、すっかり忘れていた。

「あー……あるにはあったんだが、ここに来る途中で落としてしまったらしい」

 沢口の頬がピクリと反応した。それもそうだろう。こんな子供じみた失態を俺は犯したことがない。

「どうしたんです?何があったんです?」

「………沢口、お前は知っていたはずだ」

 俺はここに来る途中に人事部で借りてきた美緒の履歴書をバサリとデスクに置いた。
 俺に恋人が出来たとなれば、沢口なら相手の素性を調べあげるはずだ。
 彼の表情が急に締まり、一瞬息を呑むのが分かった。そして次の瞬間、長い息を吐く。

「…会われたんですか」

「ああ。医務室の前でばったり、ね」

 机上の履歴書には丁寧な彼女の字と、今とほとんど変わらない、やや緊張気味の面持ちをした彼女の写真がある。

「知らなかったのは俺だけ、か」

 ぽつりと呟くと、沢口は申し訳なさそうに口をつぐんで俯いた。
 孝はもちろん知っていたはずだ。何と言っても彼女のことを昔から知っているのだから。そして、あの夜俺にけしかけたのも孝なのだ。孝は美緒のことを知っていながら、『学生』だと嘘を吐いたことになる。なぜそんなことを?孝のお祖母様である俊子さんからの見合い話を断るためだけに、そんなことまでするだろうか?腑に落ちない。

 そして美緒も。彼女は俺が美緒のことを学生だと勘違いしていることを理解していたはずだ。それなのに、彼女は一度もそれを否定したことはなかったし、ましてやこの会社の社員だなんて。彼女は最初から、俺が専務だということを知っていたことになる。そして、知らないふりをした。

 思えば彼女は、俺の仕事内容についてあれこれ詮索してくることがなかった。デートする店や俺の自宅マンションを見れば、俺がある程度の地位にあり相応の収入があることくらいすぐに分かるだろうが、それに興味を示す素振りがなかった。俺はてっきり、俺自身に好意を持ってくれているのだと思って気にしないでいたが、そうではなかったのだ。最初から本宮商事の専務であり、いずれは社長職につくことを知っていたのだ。騙されていたのだろうか…。
 俺は首を振った。

 先ほど医務室の前で高科と寄り添っていた彼女の姿を思い出す。高科とはどういう関係なのか。ここ数日、彼女に連絡が取れなかったことも関係しているのだろうか。
 一度溢れ出した猜疑心は留まるところを知らない。こんなにも負の感情に押しつぶされそうになったのは初めてかもしれなかった。俺はスマホを取り出すと、まずは孝の番号を呼び出した。


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