初春にて。
 時間ぎりぎりで満員の講堂に駆け込んだ私たちに向かって、最後列の端で手を振っていたのが智哉だった。
 前もって凛子が彼に場所取りをお願いしていたのを聞いて、私たちは単純に喜んだけれど、凛子は開口一番、取った場所が悪すぎると彼に対して声を荒げた。
 私は、彼女のその理不尽さと横柄さに、正直、驚いて固まってしまったほどだ。
 ひとしきり二人は口論し終えると、凛子は不機嫌なままさっさと一番中側の見やすい席に陣取る。他の子も習って適当に座りだすけれど、彼らのやり取りに呆気にとられていた私は、ちょっとだけ出遅れて、気づけばさっきの男子学生の隣に座るしかなくなっていた。
 何か言うべきだろうか。というか、まずは場所取りのお礼でしょ、などと悶々としていると、ふいに視線を感じた。
 隣の男子学生がこちらを見下ろしている。私も思わずじっと見入る。
 こうして見れば、目鼻立ちの整った穏やかそうな人だ。でも、さっきのやり取りを見る限りでは、ちょっと印象が違う。
 凛子の一方的な言い分を小馬鹿にしながらいなしていた。しかも感情的な凛子を睥睨するその目は至って冷静で、全く動じることも無く,むしろ慣れた調子で淡々と凛子を論破していく。彼女の言葉を遮るタイミングも絶妙で、終いにはあの口撃(こうげき)型の凛子が、むっすりと口を閉じてしまった。
 凛子はただの幼馴染みと言っていたけど、もしかすると彼氏かもしれない。
 そう思い至り、軽く会釈をしたそのとたん。なぜかかけていた黒縁眼鏡を外して、ひとしきりこちらを見ると、またしても眼鏡をかけて何事もなかったかのように授業に集中しだす。
 あまりに不可解な行動に、私の頭の中は疑問符で一杯になった。その後も彼は、慌ただしく何度か眼鏡をかけたり外したりしていたが、二度とこちらを向くことはなかった。
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