「恋って、認めて。先生」

「はい。どうぞ」
「ありがとう。助かったよ」
「別に、感謝されるほどでも」

 相変わらず素気(すげ)ない比奈守君に、やっぱり気後れしてしまう。

 私を助けたことなどなかったかのように教材室を出ようとし、比奈守君は出入口でいったん足を止めた。こちらに背を向けたまま、

「俺も、先生のクラスで良かったです」

 聞こえるか聞こえないかの小さい声でそうつぶやき、足早に出ていってしまった。

「比奈守君……」

 もしかして、それを伝えるために私を訪ねてきてくれた?

 私、比奈守君のことを怒らせてばかりで、今だって先生のくせに多大なる迷惑をかけてしまった。それなのに、そんなことを言ってくれるの?

 ……あれ?おかしいな。脚立から落ちてだいぶ経つのに、胸のドキドキがおさまらない。

 何かを期待するみたいに小刻みに振動して、震えやまない心。この感情が何なのかを、私は知ってる――。遠い昔に経験したことがあるからだ。でも、認めたくない。

「まさか、ね……?」

 相手は七歳も年下の生徒だよ?ときめくとかドキドキとかしていい相手じゃない。

 だいたい、比奈守君の周りには同い年の女子がいっぱいいるんだから、今だって誰かと付き合ったりしてるかもしれない。

 と、そんなことを考えてしまう時点で、これは恋じゃない。こんな風に頭でばかり考えてしまうなんて、純粋に人を想えない証拠だよ……。

「……よし!ウジウジするな、私っ!」

 小さくガッツポーズをし、自分に言い聞かせる。

 恋がなんだ。そんなもの、人生には必要ないじゃないか。私は一生教師として生きて、友達と充実した人生を送るんだから!

 まず、直近の目標は、レクリエーションを無事に成功させること!



 4月下旬。ゴールデンウィークを前にした陽気な日、南高校のレクリエーションは慣行された。

「それでは、先日決めたグループごとに固まって整列し、リーダーが点呼を取って下さい。その後、順番にバスに乗りましょう」

 担任として活動の多いレクリエーション。私はドキドキ感と好奇心を持ってこの日に臨んだ。


 無事に全員がバスに乗り込み、目的地に向かう。

 今年三年生が行く水族館はこの辺りでも規模の大きい施設らしく、私も、実は内心かなり楽しみにしていた。ゆっくり魚を見に行くなんて何年ぶりだろう。

 にぎやかな空間に包まれた車内は、終始生徒達の楽しげな声で溢れている。眠る子も居れば、おやつの交換をしあったり好きな人の話で盛り上がる女子達や、スマホのゲームでオンライン対戦を楽しむ男子達も居る。

 運転席の後ろに位置する最前列の席に座った私は、楽しげな空気の中から、無意識のうちに比奈守君の声を探していた。

 元々口数の多い子じゃないし、そんなに騒がしくはしないだろうけど……。

 そう。これは特別な感情なんかじゃない。先生として生徒の心配をしているだけだ。

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