「恋って、認めて。先生」

 目を細め、比奈守君は意地悪な表情をする。

「先生と回りたいんです」
「ええっ!?」

 思わず大きな声で驚いてしまう。

 比奈守君の言動の意味が、考えれば考えるほど分からなくなる。いつもそう。肝心な奥の方が見えなくて、それでただ戸惑って、なのに決して嫌ではなくて……。

 息が出来なくなるほど苦しいのに、そんな感情を喜んでもいる。ウソでしょ?


 忘れたはずの感情が、何の前触れもなく溢れだした。行き場のない気持ちは、比奈守君の笑顔で柔らかく受け止められた気がした。


「行こ、先生。迷ってたこと他の先生に知られたらまずいでしょ?」
「うん、まずい!前代未聞だろうし。だから、比奈守君に案内してもらえるのはすごく助かる。でも……」
「でも?」
「さすがに、生徒と二人きりで回るっていうのは……」

 女子ならともかく男子と二人で歩いていたら、他の生徒達から変に思われる。下手したら先生方にもあらぬ疑惑をかけられてしまうかもしれない。

「俺が迷ったってことにすれば問題ないんじゃないですかね?」
「そうかな。うん。そうかも…!」

 って、何納得してるんだ私は…!これじゃあ比奈守君のペースに巻き込まれっぱなしだよ!

 ……そう思った時はもう遅く、私は比奈守君にリードされるがまま水族館を回ることになってしまった。

「先生、そっちじゃないです」
「あっ、ごめん!」
「ホント、危なっかしいですね」

 そんな、見守るみたいな目で見つめないでほしい。笑う比奈守君を、今はどうしても直視できなかった。ダメだと分かっているのに、変な期待をしてしまいそうになる。


 シアタールームを出ると、水族館内は独特のファンタジックな色味に染められていた。薄暗い中、比奈守君の横顔が水槽の青に染められ、妙に大人っぽく見える。

 周囲には人もたくさんいる。立場や人目を気にしながら歩く水族館は緊張もしたけど、一人で歩くよりずっと楽しかった。


 一秒ごとに気持ちが揺れる。肩を並べて歩く距離が長くなればなるほど、私の中で比奈守君の存在が大きくなっていく。

 生徒と教師の壁は決して越えられない。だけど、手を伸ばせば届く距離に比奈守君がいる。それだけで私は幸せな気持ちになった。


 恋じゃない。これは教師としての幸福感だ。生徒と仲良くなれて喜んでいる、それだけだ。


 水槽を見ながら比奈守君となにげない会話を交わしつつ、頭の中で私は彼への感情に後付けの理由を探していた。

 比奈守君は私を慕ってくれる大切な生徒。恋なんてしたらいけない。

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