マネー・ドール

「松永さんって、いい方ね」
「そう、だね……」
笑顔で食器を片付けて、今日の夕飯は何がいいか聞いた。
「カレー、かな」
「カレーね。ねえ、私、お家のこと、頑張るね」
「う、うん、無理しなくていいからね」
「優しいね、慶太。大好き!」
真純は俺に抱きついて、チュッてキスして、ピンクのワンピースから、いつもの胸元の開いたTシャツと、ショートパンツに着替えてきた。
逃れられない……もう、俺は真純から逃れられないんだ……真純のことは好きだけど、やっぱり俺は、真純から逃げたいと思っていた。真純という、重い現実から、いつものように、逃げ出したかった。

 キッチンには、上機嫌で、カレーを作る真純がいる。フリルのついた、ブランドのエプロンで、真純は笑顔でカレーを作っている。杉本の部屋の、小さな台所で、シミのついたエプロンで、不満気に後片付けをしていた門田真純は、もういない。そこにいるのは、最新のシステムキッチンで、イタリア製の鍋が似合う、都会の、女。
「お料理、もっと勉強するね」
望んでいたはずなのに。俺がそう言ったのに。オシャレでかわいい、イケテル女になれって、俺が、言ったのに……
なぜか、そこにいるのは、俺の欲しかった門田真純じゃなかった。杉本から奪いたかった、門田真純じゃなかった。
「真純……」
「あっ、もう、危ないよ」
包丁を持つ真純は、後ろから抱きしめる俺の手を、左手で握った。
「キスしよう」
「どうしたの?」
「キスしたい」
真純はちょっと笑って、俺の方を向いて、目を閉じて、俺達は、キスをした。軽いキスじゃなくって、濃厚な、ディープキス。濃厚だけど、なぜか、真純の唇も、舌も、なんの味もしなかった。まるで、人形とキスしてるみたいに、なんの味もしなかった。あの花火の帰りの車や、九月の暑いあの部屋でした時は、真純の味がしたのに……
「好きだよ」
「私も」
真純は、笑った。にっこり、笑った。そして、言った。
「包丁ってね、お料理の味に影響するんだって」
そんなこと……今は……
「やっぱり、日本製がいいんだって」
「そっか。じゃあ、今度買いにいこっか」
「え? いいの?」
「だって、美味い飯、食いたいし」
「嬉しい! ずっとね、欲しかったのがね……」
真純の声が聞こえなくなった。
真純の声……真純……好きなのに……お前は……
「欲しいものがあったら、これで買いなよ」
俺は、財布から、キャッシュカードを出した。
受け取らないでくれよ……真純……受け取れないって、言ってくれよ……
「ダメだよ、そんなの」
「俺が持ってると、使いすぎちゃうからさ。ちゃんと管理してよ」
「……お買い物、一緒に行きたいの」
「うん、一緒に行くよ」
「よかった。約束だよ」
真純はキャッシュカードを受け取って、エプロンのポケットに入れた。入れた……
じゃあ、セックス、するよな……
「真純……今日、いい?」
「うん」

 俺達は、カレーを食って、二人で風呂に入って、セックスをした。相変わらず、真純のカラダは最高で、でも……俺は……
どうしてだろう……真純……好きなのに……お前を感じなくなってるよ、俺……真純……感じない……お前は、誰なんだ? いったい、お前は……生きてる人間なのか?
それすら、もう、わからなくなり始めていた。それくらい、俺は、真純を見失い始めていた。
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