マネー・ドール
 夕食はビュッフェで、俺と真純は隣の席に座ったけど、当然自然に会話はなく、俺は企画部の女の子達と楽しく過ごし、真純は田山とずっと話していた。
「市場でね、すっごい色のお魚、見たよ」
「南国の魚は、色鮮やかですからね」
「おいしいのかなぁ」
「あんまりだそうです」
「そうだよねぇ。見るからに、あんまりだもんねぇ」
「部長、何かとってきましょうか」
「うん、なんか、フルーツ食べたい」
「わかりました」
「あ、やっぱり一緒に行く。待ってぇ、田山くん」
真純は田山を追って席を立った。後ろのテーブルで、女の子達が、あの二人、いい感じだよね、と言っているのが聞こえた。真純は一生懸命、今日の出来事を話していた。舌ったらずに、ちょっと掠れた声で、笑いながら、田山に今日の出来事を話す。田山は、笑顔で、そうですか、それはすごいですね、それは大変でしたね、の三フレーズを駆使し、相槌をうつ。たぶん、花柄のワンピースの胸元をチラ見しながら。

「カラオケ、行きません?」
女の子の一人が言い出して、みんなで行くことになった。
「あー、私はパス。もう眠いの」
真純は来ないと言った。
「すみません、俺も、パスで」
田山も来ないと言った。
何人かは来ないと言って、女の子四人と野郎一人と、俺、で、夜中の三時くらいまでカラオケをした。
もしかしたら、真純は田山と……
カラオケ中、ずっとそればかり考えていて、俺は得意のミスチルもGLAYもイマイチ上手く歌えなかった。
 部屋に戻ると、真純は眠っていた。寝顔が、かわいい。
あんな風に、田山には話すんだ。
つきあい始めた頃、あれが欲しい、これが欲しいと俺にねだっていた頃、俺は真純の話に、いや、真純の笑顔と声に、夢中だった。
真純……俺……やっぱり……
眠る真純の頬に、手を触れた。あの、事件の夜から七年。真純は別の部屋で、別のベッドで、眠る。
 俺達は、極力顔を合わさない。リビングでも洗面所でもキッチンでもトイレも風呂も、俺達はできるだけ、互いの姿を見ないように、見せないように、相手の動きを凝視し、空気を感じる。俺達は、顔も見ずに、朝起きて、仕事に出かけ、無言で部屋に戻り、風呂に入り、眠る。息の詰まる生活。顔を見るのは、声を聞くのは、ステイタスを保つため。俺は真純のアクセサリーの一つで、真純も俺のアクセサリーの一つ。だけど、なぜか、俺はあの寝室で眠る。あのダブルベッドで眠る。
いつか、気まぐれでも……
いや、情けない。もう考えないことにしよう。
「おやすみ」
俺は人形のような寝顔に呟いて、隣のベッドに入り、スタンドを消し、目を閉じた。

「ねえ」
暗闇の向こうから、真純の声が聞こえた気がする。
「あのさあ」
いや、間違いない。
「何?」
「余計なこと、しないでよね」
「は?」
「田山くんに、デザイン事務所を紹介するとか言ったらしいわね」
冷たい。冷たい言い方。
「田山くんは優秀で、うちには欠かせない人材なのよ。まだこれからなのに」
……好きなのか? あの田山のことが?
「彼の夢なんだろう、デザイナーは。叶えられるなら、協力してやりたいだろ」
「バッカじゃないの? 夢ですって? そんなもので、ご飯が食べていけるの?」
「お前、あいつのこと、男として見てるだろう」
「はあ? あのねえ、私はあなたみたいに、ビジネスとプライベートを一緒くたにはしないの。男だとか女だとか、そんなこと考えないの。田山くんは私の信頼できる部下で、会社には大切な存在。わかる? 大切な存在ってのはね、利益をもたらすってことよ。社員は会社に利益をもたらすために働いているの。その見返りに、お給料をもらっているの。あなたのように、異性を性の処理道具としか見れない人にはわからないかしら」
暗闇の向こうから、真純の声だけが聞こえる。その声は、舌ったらずでも、掠れてもなくて、ハキハキして、低くて、小さいけど、よく通る、声……
「今後一切、私の部下に余計なことしないで」
悔しい。悔しいけど、正論だ。何も、言い返せないけど……でも、田山は、お前のことを……
「田山くんの、一生を奪うのか」
「どうしてもその道に行きたいなら、自分で行くでしょう」
自分で……真純は、自分で来た。東京にも、俺のところにも、会社にも。自分で決めて、自分で来た。俺はどうだろう。何か自分で決めただろうか。俺は逃げることしかしていない。親父の庭から、出れていない。この女との生活も、終わらそうと思えば終わらされる。でも、できない。ダブルベッドで、俺は、待っている。俺は、あの寝室からすら、出れていない。
真純……こんな俺……情けねえよな……
「真純」
「何よ」
そっちに行っていいか? 抱きしめていいか? なあ、真純……キス、したいんだ……お前のこと……好きだから……こんな俺だけど、やっぱり、好きなんだよ、真純……
「セックス、しようか」
また……バカだなあ、俺。
「いいよ」
え?
「またレイプされるの、嫌だし」
そうか……そうだよな……
「冗談だよ。お前なんか、興味ない」
「よかった。興味持たれてなくて」
 
 終わらせなくても、もう終わってる。俺達はもう、終わってるのに。
なぜ、どこにも行かないんだ、お前は。なぜ、あの部屋にいるんだ? 何から逃げてるんだ? 決めろよ。決めて出ていけよ。もう、終わりにしようぜ。
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