マネー・ドール

「独立、するよ」
「えっ! これからどうするの! お金は? お金は大丈夫なの?」
真純、三年後、お前はこの家から出て行くことになるかもな。でもお前は大丈夫だろ? 俺がいなくても、もう、金も地位も、手に入れただろ? 俺なんか、いらないだろ?
俺は真純に頷いて、退職願を書いた。退職願はあっさり受理され、特になんの支障もなく、俺は事務所を辞めた。十二年勤めて、俺の功績など、どこにもなかった。佐倉部長のような、輝かしい功績は、俺にはなかった。

 三年、俺は死に物狂いで働いた。電話一本で、いつでもどこにでも行く。休みでも、寝ていても、飯中でも、風呂中でも、セックス中でも。家に帰らず、ほとんどオフィスで過ごしていた。酒を飲むと仕事ができなくなるので、酒はほとんど飲まない。その代わり、オンナを抱いた。誰をいつどこで抱いたか、覚えていない。それくらい、オンナは俺の処理でしかなかった。
ああ、そうか、忘れていた。俺は頭が良かったんだ。東大出だった。日本の脳みそが詰まった東大出だった。
使える人脈は全部使った。警察、弁護士、官僚、医者、どっかの社長、怪しげな団体、エトセトラエトセトラ。俺が処理するものは金だけじゃない。厄介事の仲裁、女の始末、ガキの就職、ジジイの手術、交通違反、面倒事はなんでもやった。法外な報酬と引き換えに、上っ面の、なんの意味もない、薄っぺらい地位と名誉と金を守ってやった。
 そして、俺には、真純という最強で最高のアクセサリーがある。どんなパーティでもどんな集会でも、俺は真純を連れて行った。真純はあの笑顔で俺を売った。ついでに自分のクライエントも獲得した。俺達は、仮面夫婦から、ビジネスパートナーに変わっていた。
 半年ほどして、裏稼業ばかりはやっていられないことに気づき、『表稼業』を任せられる、山内という会計士を雇うことにした。こいつは、大学の後輩で、初めて、俺が俺より頭がいいと認めた奴で、会計士としても優秀で、貪欲。金と数字にしか興味のない、会計士以外の仕事はできない奴。
「クライエント一件、いくらですか」
山内はあっさり、大量のクライエントを引き連れて、俺の事務所へ来た。山内のおかげて、俺は裏稼業に専念し、あっという間に、俺の名前は政界に知れ渡った。佐倉慶太の名前は、『便利屋』として、オエライサン達のアドレス帳にインプットされた。

 約束の三年で、親父に融資してもらった資金と、忘れかけていたマンションの代金に利子をつけて返済し、ベンツを買い替え、真純にBMWを買ってやった。初めて、俺の金で、買ってやった。カルティエの時計も、グッチのハイヒールも、ダイヤのネックレスも、なんでも買ってやった。俺の金で。俺が稼いだ金で。佐倉部長の、給料明細はあれから見ていないけど、たぶん、超えている。俺は、唯一の存在価値を、やっと、確立させた。やっと、親父の庭を脱出した。

 でも、やっぱり、あの寝室からは脱出できずにいた。俺はずっと、あの寝室で、真純を待っていた。待っていたけど、真純は、来ない。ダイヤの見返りにに笑っても、真純の部屋の鍵は、閉まったままだった。
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